東京灯標

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東京灯標(廃止)
東京灯標の位置(日本内)
東京灯標
航路標識番号
[国際標識番号]
2159
位置 北緯35度34分0秒 東経139度49分42秒 / 北緯35.56667度 東経139.82833度 / 35.56667; 139.82833座標: 北緯35度34分0秒 東経139度49分42秒 / 北緯35.56667度 東経139.82833度 / 35.56667; 139.82833
所在地 京浜港東京区(東京中央防波堤西灯台の南東方約4.5キロメートル)
塗色・構造 白塔形
灯質 単明暗白光 明6秒暗2秒(廃止時)
実効光度 150 cd
光達距離 8海里
明弧 360度
灯火標高 29 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1969年(昭和44年)1月1日
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東京灯標(とうきょうとうひょう)は、京浜港東京区(東京中央防波堤西灯台の南東方約4.5km)に存在した灯標である。

背景[編集]

東京灯標の前身は、1947年昭和22年)には、東京都港湾局によって東京湾口の北緯35度34分42秒 東経139度48分43秒 / 北緯35.57833度 東経139.81194度 / 35.57833; 139.81194に設置された東京燈船まで遡る。旧陸軍の動力船を改装した125総トン、長さ32mの非自航船で、水面上6mにアセトンガスを燃料とする160燭光または220燭光の灯標を有し、3交代制で2名の職員が常駐して燈船の維持と船舶の監視を行っていた。初代の燈船は、1950年8月に海上保安庁に移管されたが、1952年(昭和27年)3月22日に荒天で沈没した。直径300mmのフレネルレンズは「近代航路標識資料」に認定され、船の科学館の屋外に展示されている[1]

初代の東京燈船の沈没後、2代目の燈船が配備されたが、船舶の大型化により目視が困難になった。そのため、より大型の灯標に代替されることとなり、1968年(昭和43年)に設置されたのが東京灯標である[2]

設計[編集]

「男女のシンボル」をイメージしたデザイン灯台で、男性のシンボルが灯標、女性のシンボルが東京灯標信号所である[3]。水面上29mに120万カンデラの灯標を有し、16海里(約30km)の目視能力がある。は無く、直径1mの鉄パイプを海底 50mに打込んでいる。水上の上構には居住施設もあり、当初は職員が常駐していたが1980年(昭和55年)8月に無人化された。以降は遠隔操作で稼働し、夕方になるとモーターが回転して点灯する。[2]。施設灯の灯質は、モールス符号白光、毎8秒にU(・・-)である。

運用[編集]

1969年(昭和44年)1月1日の初点灯以来、40年以上にわたり東京湾を照らし続けた。しかし新海面処分場等の埋立ておよび東京国際空港(羽田空港)再拡張事業などのため東京西航路が沖側に延長されることとなり、信号所とともに2010年平成22年)10月1日付けで廃止、関東地方整備局東京施設灯に名称が変更された[4]

灯標の廃止により、港口明示灯火は東京沖灯浮標に、管制信号は東京国際空港D滑走路南東端に設置された羽田船舶信号所に役割が引き継がれた。

歴史[編集]

  • 1947年(昭和22年) - 東京都港湾局が東京燈船を設置
  • 1950年(昭和25年)8月 - 海上保安庁に移管
  • 1969年(昭和44年)1月1日 - 東京灯標が初点灯
  • 1980年(昭和55年)8月 - 無人化
  • 2010年(平成22年)10月1日 - 廃止、関東地方整備局東京施設灯に名称変更
  • 2012年(平成24年)3月30日 - 撤去

出典[編集]

  1. ^ 写真提供:小高正稔「《発掘写真》初代「東京燈船」はこんなフネだった」 『世界の艦船』第808集(2014年12月号) 海人社 P.50-51
  2. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『東京灯標』 - コトバンク
  3. ^ 東京灯標 役割終了 (PDF) 、海上保安庁 第三管区海上保安本部 平成22年9月24日
  4. ^ 東京灯標の廃止及び東京灯標信号所の移転について (PDF) 、海上保安庁 第三管区海上保安本部 東京湾海上交通センター

関連項目[編集]