東京地下秘密路線説

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東京地下秘密路線説(とうきょうちかひみつろせんせつ)とは、日本都市伝説の一種である。

概要[編集]

このような話が広まった原因として、日本陸軍鉄道連隊陸上自衛隊の鉄道部隊だった第101建設隊日本銀行私有貨車で一般にはその存在が伏せられていた現金輸送貨車・国鉄マニ30形客車、現在も運行される資材輸送貨物列車の存在がある。

東京メトロ(とその前身である東京地下鉄道東京高速鉄道帝都高速度交通営団)や都営地下鉄には荷物・貨物輸送を目的とした車両が存在した事はなく[注釈 3]、また定期運行を行った実績もない。現実に専用線が存在し、使用されているという直接の証拠はない。

確認できるもの・類似するもの[編集]

以下の事例は、全てマスコミや書籍・雑誌を通じて一般に公表されているものである。

  • 上記のようなもので実際に存在した専用線としては、大正時代に建設された、東京中央郵便局東京駅を結ぶ郵便物運搬路線があり、東京駅側は後に車椅子の乗客のための通路や駅の売店類に商品を搬入するルートとして転用されている。
  • 連絡線に関しては、東京メトロの南北線 - 有楽町線、有楽町線 - 千代田線、銀座線 - 丸ノ内線、都営地下鉄の浅草線 - 大江戸線の間に、営業車両の保守整備の一元化[注釈 4]を主な目的として建設されている。
  • 大江戸線の麻布十番駅清澄白河駅には東京都の防災備蓄倉庫[注釈 5]があり、災害時に地上交通が寸断された場合、地下鉄を使った輸送が行えるように備えていることが公表されている。 また大江戸線では災害時を想定した自衛隊の輸送訓練を実施したことがある。

秘密路線説に関する指摘[編集]

  • 地下にそれだけの路線網を建設するには、(特に技術の未熟な戦前では)多くの人員が必要になるが、それらに関わった全ての者に情報の秘匿義務を完璧に履行させ続ける事の困難性。
  • 太平洋戦争による東京大空襲など、実際の国家の非常時にそれらの路線が用いられたという話が、戦後になっても伝わってこないという矛盾について(昔の半没水道を使った事例は存在)。
  • 地下路線に関して具体的に検証すると、軍事目的に用いるには欠陥だらけであるということが、鉄道軍事の両評論家[誰?]から指摘されている。
  • また、建築上の基本から云えば、現代の地下鉄各線においてトンネル内を許容される車両限界車体幅2.8m以下である。現代の陸上戦闘車輌はNATO軍で3.15m幅が標準、現用主力戦車はそれ以上の幅であり、そもそも軍用車両を輸送する事自体が全く不可能である。

登場作品[編集]

通常使用されない東京の地下軌道交通路線、もしくは地下車道が登場する作品。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 東京23区内ではこれ以外に東日本旅客鉄道西武鉄道京成電鉄東急電鉄京王電鉄小田急電鉄京浜急行電鉄首都圏新都市鉄道東京臨海高速鉄道などが地下線・地下区間を有している。
  2. ^ 一般には、戦前に開業していた路線は東京メトロ銀座線(旧東京地下鉄道・東京高速鉄道)のみであり、東京メトロ丸ノ内線は戦争で工事が一時中断された未成線であった。
  3. ^ バラストレール運搬用の貨車は存在するが、あくまでも保線用の機械であり貨物輸送用の車両ではない。また都営地下鉄は大江戸線の全通にあたり、同線車両の定期検査を、車両の規格や駆動方式が異なる浅草線の馬込車両検修場で行う必要から、日本の地下鉄では史上初となる電気機関車を導入した。
  4. ^ 一定以上の規模の車両保守作業は、複数路線の車両を一括して担当する少数の整備工場で行なわれており、作業対象となる車両を工場へ搬入するには異なる路線を辿る必要が生じる場合がある。
  5. ^ これらの倉庫は東京都が15億円あまりを投じて整備したもので、1760平方メートルの倉庫内には毛布とカーペットが備蓄されているほか、地上への輸送をスムーズにするためのベルトコンベアや、専用の空調設備、自家発電装置が用意されている。

参考文献[編集]