東亜プラン

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東亜プランとうあプラン, TOAPLAN)は、1984年から1994年にかけて、主に業務用のシューティングゲームを中心に開発していた日本会社東京都杉並区清水に本社を置いていた。また開発部が東京都豊島区池袋や、新宿区新宿3丁目に置かれていた事もある。

目次

[編集] 概要

オルカ倒産後に在籍していたソフトチームがクラックスを設立。そのクラックスが経営難を理由に再び倒産し、一部スタッフがアーケードゲームの販売代理店だった東亜企画に移り、ゲームソフト部門を作ったのが東亜プラン誕生のきっかけだと言われている。東亜企画自体は1979年4月に設立。

マンションの一室でゲーム開発という環境からの再スタート、初期はタイトーを中心に他メーカーの下請けとしてゲームを製作していた。『究極タイガー』の成功により知名度が上がり、開発環境が整うと『ヘルファイヤー』を境に自社販売も行うようになった。[1]

タイガーヘリ』や『飛翔鮫』等の、「フライングタイガースシリーズ」と呼ばれる一連の作品で縦スクロールシューティングの基礎を築いた。やがてシューティングブームの到来によって『達人王』等の、高難易度をアピールした作品を次々と製作し、シューティングゲームの高難度ブームを誘発。しかしこれが一般プレイヤーの減少を起こす一因となった。

末期には『BATSUGUN』や、お家芸とも言えたシューティングゲーム一辺倒からアクションゲームなどの作品をリリースするなど、初心者にも配慮された作品を製作したが、ゲーム人気が対戦格闘ゲームに移りつつあった当時、市場に受け容れられたとは言い難かった。

1994年に倒産。その後、主要なスタッフがケイブを設立し、『首領蜂』等アーケードゲームの製作を現在も続けている。またタクミコーポレーションタムソフト、タイトー等に移ったスタッフもいる。

1990年代中頃から2000年代初頭にかけて消えていった数多くのゲームメーカーの代表格として、SNKコンパイルとともによく取り上げられる。現在も多くのファンがいる。

倒産後、長らく版権の所有元が不明で移植や音楽のCD化は不可能な状態であったが、2011年9月に版権元が見つかった旨がTwitterおよびUSTREAMで報じられ、移植をM2が行い、資料関係のデータファイルをつけた音楽CDをスーパースィープが販売することが報じされ、後にCDは「東亜プラン シューティングクロニクル」として発売された。

[編集] 主なゲーム

[編集] 関連人物

[編集] 訳注

  1. ^ あくまでも自社ブランド名義での発売であり、流通的には今まで通りタイトーが販売している。
  2. ^ ゲームマシン 2002年6月1日号 10年前の主なニュース - アミューズメント通信社

[編集] 関連項目

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