東カレリア

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白い部分が東カレリア
東カレリアの旗

東カレリア(フィンランド語: Itä-Karjala)、もしくはロシア領カレリア、はカレリア地方の一部。

概要[編集]

カレリア地方のうち、1617年ストルボヴァ条約でロシアに割譲された、キリスト教東方正教会の信者の住む土地をいい、おおよそ白カレリアオロネツカレリアを合わせた土地である。カレリア全体は西部カレリアと東部カレリアに分けられ、西部は西カレリア、フィンランド領カレリア、スウェーデン領カレリアと呼ばれるようになっていった。東カレリアは現在、ロシアカレリア共和国の一部となっている。

19世紀、国家民族主義のフェンノマン党(フィン人の党)は東カレリアはスカンジナヴィア人スラブ人に"汚染されていない"古き良きフィン人の文化の故郷と見ていた。エリアス・リョンロートは主に白海に近いヴィエナ・カレリア一帯の東カレリアでも辺境に住む僅かな人々から、口承民話や神話、民謡などを集め、これは後にフィンランドの叙事詩カレワラになった。

フィンランドは1918年10月革命の混乱の中、独立した。このときもフィンランド人の東カレリアへの領土意識は高いものであった。東カレリアを含め全カレリア以北の地の全てをフィンランドに併合しようという『大フィンランド主義』は新たに独立したフィンランド人の多くに受け入れられた。10月革命が起き独立し、干渉戦争を行った際にはこれが叶う可能性もあったが、ロシアとの介入によって、この試みは御破算となった。

大フィンランドの考えは特に継続戦争の際に顕著であり、これはドイツへ援助、援護を行なったことや、カレリア地域には冬戦争前の国境線を越えて進軍したことからも透けて見える。継続戦争中、東カレリアの大部分はフィンランドに占領された。この戦争は同時にカレリアに住むロシア民族の市民に敵国人としての強制労働や牢獄への抑留などの苦痛を伴わせた。継続戦争後、東カレリアを併合しようという大フィンランド主義は表立って行われることはなくなった。

カレリアがフィンランドとロシアの間で分割された1918年以降、東カレリアの多くを占めていたフィン人(いわゆる「カレリア人」)たちの遠大な文化に権利が与えられた。しかしながらこれらの権利はスターリンの元で実現されることは無く、フィン人は迫害を受けひどく強制的なロシア人化を課せられた。共産主義が崩壊したのち、東カレリアのフィン人の文化は復活の芽が見られる。

関連項目[編集]