村岡平吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村岡 平吉(むらおか へいきち、1852年7月7日嘉永5年5月20日) - 1922年大正11年)5月22日)は、日本の印刷業者。聖書印刷で有名で「バイブルの村岡さん」と言われた[1]

武蔵国橘樹郡小机(現在の神奈川県横浜市港北区小机町)に生まれる。1883年、横浜住吉教会(現・横浜指路教会)でG・W・ノックスより洗礼を受ける。以降、横浜指路教会長老として教会に仕えた。

上海に渡り印刷術を修め、帰国後に聖書、讃美歌などのキリスト教書類の印刷のために、1898年に現在の横浜市中区山下町に福音印刷合資会社を設立する[1]。後に福音印刷の支店を東京銀座神戸市にそれぞれ設立し、息子夫妻である村岡儆三村岡花子の協力を得て、社主として活躍する。日本語中国語インド語フィリピン語などの諸言語による聖書印刷を行った[1]。墓所は久保山墓地

6男1女をもうけており、女優として活動している村岡希美の曽祖父にあたる。

参考文献[編集]

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年

脚注[編集]

  1. ^ a b c 地元が生んだ“印刷王”を研究 定年時代(横浜・川崎版) 2014年5月号