村上世彰

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村上 世彰(むらかみ よしあき、1959年8月11日 - )は、シンガポール在住の不動産投資家大阪府大阪市出身。

人物[編集]

M&Aコンサルティングを核とする村上ファンドを創設した人物。現金や遊休優良資産を抱えていながら有効活用していない会社株式を取得し、日本の株主の(もしくは一般化された日本人像として)多くが経営関与には消極的な中で、積極的に株主提案を行い企業価値の向上を計り、株主を軽視する経営者に対しては株主総会などで経営陣を批判・叱咤することなどから、「もの言う株主」として注目を集めた。対象とした会社の株を買い占めた上で、短期的に利益の上がる事業に専念させ株価をつり上げて売り抜ける、というパターンを繰り返す仕手筋が典型的であったが、あまりに横暴な手法は各方面からの批判を浴び、最終的にはインサイダー取引の発覚で逮捕された。

村上ファンドと近い時期に、同じく積極的な経営手法で注目された元ライブドア社長堀江貴文と比較されることも多い。

ニックネームは「せしょう」または「せいしょう」。世彰を本来の「よしあき」でなく、音読みさせて「せしょう」と読む人が多いためだという(一種の有職読み)。小学校・中学校時代は、世彰ではなく「せいしょう」と呼ばれていた為、本名の呼び名を知らない人もいた。

経歴[編集]

M&Aコンサルティング設立前[編集]

主に中華民国(台湾)との貿易を営んでいた華僑貿易商である在日台湾人の村上勇の次男として大阪道頓堀界隈に生まれる。台湾生まれの父は「華僑とインド人のハーフ」といわれる[1]大阪市立道仁小学校を卒業。なお、小学生の頃には、すでに株取引のキャリアはスタートしていたという話がある。これは、父親が、小遣いの支払いを廃止する代わりに、100万円の現金を渡したことに端を発するもので、この資金を元手に、株式市場で小遣いを捻出していたとされる。 小学校時代はとても元気で活発な性格で、所謂ガリ勉タイプではなく、近所の友達ともよく遊んでいたという。学校では教師の間違いを指摘するなどしていた。

その後、灘中学校・高等学校に進学。高校時代はせんだみつおの弟子になることが夢であり、「せんだの人生には偽りがない」という文章を文集に残している。また、高校時代に後にパートナーとなる丸木強と出会っている。しかし学校に行っても学校行事には参加せず、校内の割り当て仕事(たとえば掃除当番)も「試験や受験が近づいたら、学校に行くよりも家で勉強する方が効率がいい」「掃除なんかやっている暇があれば、自分だけ先に帰って勉強したい」との理由で不参加を通していた[2]

高校では220人中200番まで成績が下がったこともあった[2]。教科は理系科目が得意であったが、文系科目が苦手なために1年間の浪人生活を経験。1979年、東京大学文科1類(法学部進学課程)に進む。

大学生活は、父の所有する東京都港区高輪の高級マンションから、ポルシェに乗って通学するという豪華なものであった。1983年東京大学法学部を卒業。東大法学部同期の友人に参議院議員林芳正伊藤芳朗弁護士(伊藤は灘高の1年後輩)などがいる。同年、通商産業省(現経済産業省)に入省。通産省時代に近未来小説「滅びゆく日本」を執筆するも、上司が反対したため出版には至らなかった。

通産省時代は在南アフリカ日本大使館一等書記官としてアパルトヘイト時代の南アに赴任。口が災いして左遷された結果だったと伝えられている[2]

M&Aコンサルティング設立後[編集]

1999年、「ルールを作る立場からプレイヤーになりたい」と生活産業局サービス産業企画官を最後に通産省を退官し、M&Aコンサルティングを設立。ケイマン諸島籍の投資信託として「MACジャパン・アクティブ・シェアオーバー・ファンド」を設定し、傘下の特別目的会社投資事業組合、MACアセットマネジメントなどの組織・企業を通じて日本企業への投資を開始する。のち、2006年5月10日シンガポールへの進出を発表した。

2006年3月から同年6月までソフトブレーン社外取締役を務めた。

村上ファンドライブドアから重要情報を得てニッポン放送株を買っていた」というインサイダー取引の疑惑がマスコミで騒がれ始め、東京地検特捜部の捜査の動きがマスコミに流れはじめるが本人は疑惑を否定。2006年6月5日、11時に東京証券取引所で記者会見を行い、これまでの姿勢から一転ライブドアの当時の取締役などから重要な情報を「聞いちゃった」と告白した、東京地検特捜部の取調べに対する調書にサインをしたことを明らかにし、証券取引法違反(インサイダー取引)の容疑を全面的に認めたが、それは意図的なものではなくあくまでも過失だったと暗に主張した。また、ファンドマネージャーの職を退くと共に証券業に今後関わらない意向も表明した。その後同日17時前、東京地検特捜部の捜査によって逮捕勾留された。

逮捕後の近況[編集]

その後、2006年6月23日証券取引法のインサイダー取引容疑で起訴される(村上ファンド事件)。東京地検特捜部の主張によると、一連の取引で得た利益は30億円で、インサイダー取引としては過去最高額である。

2006年6月26日に、保釈東京地裁に認められ、保釈金5億円を小切手で支払い保釈された。村上本人は、「家族や社員が心配だから」として早期の保釈を望んでいたとされている。

2006年9月15日東京地検、東京地裁、村上の弁護人の3者により公判前整理手続が行なわれた。村上は当初、ライブドアによるニッポン放送株大量買い占め情報を堀江貴文前社長から聞き、ニッポン放送株193万株を買い付けたというインサイダー取引の容疑の起訴事実を認めていたが(その時、村上が「聞いちゃったかと言われれば・・・聞いちゃってるんですねぇ」と言ったことは有名)、この情報を知った時期を村上はこの日、「ライブドアが取締役会で正式決定した後」と述べ、起訴事実を一転・全面否認した。

2006年11月30日に初公判。村上は起訴事実を否認、その後も一貫して無罪を主張し続けた。2007年6月12日に結審し、村上は「反省すべき点は多かったが、意図的に法を犯すことはしていない」と改めて否認した。

東京地裁(高麗邦彦裁判長)は同年7月19日、村上に対して懲役2年、罰金300万円、追徴金11億4900万円(求刑:懲役3年、罰金300万円、追徴金11億4900万円)の実刑判決を言い渡した。インサイダー取引事件での実刑判決は異例であり、また追徴金の額も史上最高である。村上側はこの判決に対して即日控訴の手続きをとった。なお閉廷後直ちに村上は拘束されたが、追加の保釈金2億円を再び小切手で支払い釈放された。この頃から村上は活動の本拠地をシンガポールへ移動するが、毎月のように日本へ戻って指示を飛ばすようになった[3]

2007年12月26日NPOに寄付する中間支援団体チャリティ・プラットフォーム(チャリ・プラ)の理事に就任[4]。一方では、2008年10月に村上ファンド関係者が入手したレノの共同経営に参加[3]

2009年2月3日東京高裁は懲役2年執行猶予3年を言い渡した。罰金300万円と追徴金約11億4900万円はそのままとした。 なお法人として同罪に問われた投資顧問会社MACアセットマネジメント」は、一審判決は罰金3億円だったのを罰金2億円とした。村上・MACアセットマネジメント各被告側は即日上告の手続きをとった。

2010年、レノは自社株買いにより村上との資本関係を解消した。法的整理を検討していたゼクス (不動産会社)から、入居者救済と実父が入居していたこともあり、高級老人ホーム3箇所を約100億円で買収した[5]

2011年6月7日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は上告を棄却し、懲役2年執行猶予3年、罰金300万円と追徴金約11億4900万円の有罪判決が確定した[6]。一方、村上は同年5月、シンガポールに新会社「CARON」を設立、兄の世博(元三菱商事勤務)が永住権を取得して役員に就任[3]

現在、証券業から完全撤退し、今後も関わらないことにしており、シンガポールで暮らしながら各種不動産への投資を行っている。

著書[編集]

  • (赤石浩一、小川典文と共著)『市場「淘汰」されるサービス業·顧客「選択」されるサービス業-サービス·プロバイダーが市場原理と国際競争にさらされる時代 』、ダイヤモンド社、1999年2月 ISBN 4-478-50163-7
  • 村上世彰編著 / 大石邦弘ほか著『アウトソーシングの時代-2010年、33兆円市場を拓く事業群』、日経BP社、1999年4月 ISBN 4-8222-9114-6
  • (小川典文と共著)『日本映画産業最前線』、角川書店、1999年5月 ISBN 4-04-883576-9

脚注[編集]

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  1. ^ 週刊文春2006年6月15日号。
  2. ^ a b c 小山雄人「村上世彰の罪と罰 モラルなき友との四半世紀 」(『新潮45』2006年9月号)。
  3. ^ a b c 新生・村上ファンド その野望と内情―この先、村上氏はどう出るのか?」、週刊東洋経済2013年2月9日
  4. ^ 週刊東洋経済2008年2月16日号
  5. ^ 老人ホームを営む「村上ファンド」
  6. ^ “村上ファンド元代表の上告棄却”. J-CASTニュース. (2011年6月8日). http://www.j-cast.com/2011/06/08097842.html 2012年5月15日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 『週刊東洋経済』第6021号(特集=徹底解明村上ファンド)、東洋経済新報社、2006年5月20日。
  • 大鹿靖明(著) ヒルズ黙示録 朝日新聞社 2006年初版

関連項目[編集]