李聖徳

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李 聖徳(り せいとく、イ ソントク、ハングル이성덕1912年1月20日 - 1968年7月8日)は日本統治下の朝鮮韓国の元スピードスケート選手。

平安北道新義州出身。早稲田大学専門部2年在学時の1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックでは500m16位、1500m23位、5000m27位、10000m25位となった。 1933年の第4回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。

戦後は韓国籍を取得し韓国スケート連盟会長を務めた。韓国のヤクザ西北青年会幹部だった李聖淳朝鮮語版は実弟。

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