李範ソク

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本来の表記は「李範奭」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

李 範(イ・ボムソク、이범석1900年10月20日 - 1972年5月21日)は大韓民国政治家独立運動家である。号は鉄騏(チョルギ、철기)。李承晩政権下では、初代国務総理を務めた。

来歴[編集]

李範奭 이범석.JPG
各種表記
ハングル 이범석
漢字 李範奭
発音: イ・ボムソク
日本語読み: り・はんせき
ローマ字 Yi Boem-seok
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1900年忠清南道天安生まれ。京城高等普通学校卒業後、中国へ亡命し、雲南講武堂騎兵科第12期生となった。

三・一独立運動の熱気の中、抗日独立運動を志し、南満州にあった私塾・新興武官学校の教官となった。青山里戦闘では、金佐鎮のもと韓国独立軍の一隊を指揮し、活躍したとされている。

日中戦争においては、中国国民革命軍に参加、第55軍司令部参謀長代理や中央訓練団教官を務める。

1940年韓国光復軍参謀長。

1941年、韓国光復軍第2支隊長。

解放後に帰国し、朝鮮民族青年団を創設。自分の勢力基盤とした。

その後、1948年7月31日に初代国務総理、8月15日に国防部長官に任命される。当初、李承晩は李允栄を国務総理に任命する予定であったが、国会の承認を得られず、李範を指名し、国会の承認を得た。第2代大統領選挙では、李承晩に気に入られようとして、当選させるために暴力団を使ってテロまで起こし、悪名を轟かせた(釜山政治波動)。

その後、自由党政権下ではあまり政治の表舞台には立たなかった。1961年に民族青年団系の軍人クーデター未遂事件が起こると逮捕されたが、すぐに釈放された。

参考資料[編集]

  • 佐々木春隆、『朝鮮戦争前史としての韓国独立運動の研究』、1985年
  • 木村誠・吉田光男・趙景達・馬渕貞利編集「朝鮮人物辞典」(1995年、大和書房


公職
先代:
張錫潤
韓国の旗 大韓民国内務部長官
第8代:1952
次代:
金泰善
先代:
(創設)
韓国の旗 大韓民国国務総理
初代:1948 - 1950
次代:
申性模
(代理)
先代:
(創設)
韓国の旗 大韓民国国防部長官
初代:1948 - 1949
次代:
申性模