李秀満

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李秀満
基本情報
別名 スーマン・リー、リー・スーマン
出生 1952年6月18日(62歳)
出身地 韓国の旗 韓国 ソウル
学歴 ソウル大学校農科大学農工学科農業機械専攻卒[1]
カリフォルニア州立大学ノースリッジ校コンピュータ工学修士課程修了[2]
ジャンル (歌手として)ポップスフォークハードロックエレクトロニカ
(プロデューサーとして)ヒップホップR&Bダンスポップ
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
活動期間 1971年 -
レーベル SMエンターテインメント
事務所 SMエンターテインメント
共同作業者 サウォル・グァ・オウォル(1971年 - 1972年)
サンド・ペブルス(1972年)
トゥルゲドゥル(1974年)
イ・スマン・グァ・365イル(1980年)
李秀満
各種表記
ハングル 이수만
漢字 李秀滿
発音: イ・スマン
ローマ字 I Suman
本人表記: Lee Soo-Man
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李 秀満(イ・スマン、이수만1952年6月18日 - )は、韓国の男性シンガーソングライター司会者音楽プロデューサー実業家である。1970年代後半にフォークシンガーとしてスターダムにのし上がり、1980年代後半から1990年代前半まではテレビ司会者やラジオDJとして数多くの番組を担当。その後、1995年にレコード会社兼芸能プロダクションのSMエンターテインメントを設立し、音楽プロデューサーとしてH.O.T.BoAなど数多くのアイドル・スターを生み出した。

役職は、SMエンターテインメント理事および同グループ会長。このほか、2004年から2008年まで社団法人韓国音楽産業協会の副会長も務めている。

略歴[編集]

歌手デビュー[編集]

1952年に韓国ソウルで生まれ[3]、エリート校[4]として知られる景福(キョンボク)高等学校[3]からソウル大学校農科大学(のちの農業生命科学大学)に進学して喫茶店で歌のアルバイトをしていた1971年に、実兄の紹介で実兄が所属する韓国航空大学校の学生バンド「ファルジュロ」(滑走路)[注釈 1]にギターを教えに来ていたペク・スンジンと知り合い、2人でフォークデュオ「サウォル・グァ・オウォル」(4月と5月)を結成し、テレビ出演などで知名度を上げて、翌1972年にレコード・デビューを果たした[5]

当時フォークソングといえば国外歌手のカバー曲ばかりのなか、韓国語詞の自作曲で勝負を賭けた「サウォル・グァ・オウォル」は、ヒット曲を連発して人気グループとなったものの、李はデビュー直前に胸膜炎を病み脱退していたため、その成功を享受することはなく[5][注釈 2]、脱退後はソウル大農科大学の2年生のみで構成する学生バンド「サンド・ペブルス」の第2期に参加し、ボーカルとして1年間活動した[6][7]

その後、1974年にペク・スンジンと今度は6人組フォークロック・バンド「トゥルゲドゥル」(野良犬達)を結成し、そこでリード・ボーカルとベースを引き受けるも、このバンドでのレコード・デビューは叶わず[8][9]、以後しばらくは「オリエント・プロダクション」に身を寄せて音楽活動を続けていたが[6]、1975年末に同プロダクションが「大麻草波動」[注釈 3]で大打撃を受けてしまい[11]、ほどなく「地球(チグ)レコード」へと移籍をした[6]

歌手としての成功と米国への留学[編集]

翌1976年、韓国歌謡界は大麻草波動によって荒廃の一途を辿っていたが、その中で李は「幸福」(ヘンボク)や「一輪の夢」(ハンソンイ クム)などのフォークソングでヒットを飛ばして一躍人気歌手となり[6]、同年「MBC10大歌手歌謡祭」の新人歌手賞を受賞すると[12]、翌1977年には同賞の10大歌手に選出される栄誉を得た[1][13]。また歌手業だけでなく、人気バンドを次々と輩出して韓国歌謡界に新たな潮流をもたらした「MBC大学歌謡祭」の進行役を1977年の第1回から4年連続[14]で担当して高い評価を得るなど、司会者としても活躍した[15][16]

1980年には、「イ・スマン・グァ・365イル」(イ・スマンと365日)というバンドを結成して、当時韓国では創始期であったハードロックに挑戦するなど、新境地を開拓する意欲も見せていたが[17]、その直後に全斗煥政権が実施した言論統廃合に失望して、芸能活動をたたみ自国を離れることを決断[18]。翌1981年、かつて思い描いていたエンジニアへの夢を胸に米国へと旅立ち、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校[2]の大学院に入学した[1][18]

レコード制作者の道へ[編集]

半ば音楽を捨てて米国の地にやって来た李はロボット工学を専攻して学問に勤しんでいたが、ちょうど渡米と同じ年に放送が開始されたMTVに新しい音楽の時代を感じて、次第に米国のエンターテインメントを韓国で再現することを夢見るようになり、1985年に修士号を取得するとすぐに帰国して、芸能活動を再開した[1][18]。復帰後は歌手よりもラジオ番組のパーソナリティーやテレビ番組の司会者として活躍し[19]、馬のように面長だという共通点から歌手の李文世(イ・ムンセ)やユ・ヨルとともに「馬三(マサム)トリオ」の愛称で韓国の大衆から人気を得たが[20]、その一方で当時まだ珍しかったコンピュータミュージックに挑戦して[21]ソウル・梨泰院のディスコでDJをしたり、仁川の観光地・月尾島で「ヘミングウェイ」というカフェを経営したりして2億ウォンを貯め、それを元手に1989年、SMエンターテインメントの前身となる「SM企画」[22]を設立し、レコード制作業を始めた[1][18]

この「SM企画」で李はダンスシンガーのヒョン・ジニョン、フォークシンガーのハン・ドンジュン、R&Bシンガーのユ・ヨンジンらをプロデュースするが[18]、なかでも約2年の育成期間を経て1990年にデビューさせたヒョン・ジニョンは、韓国でいち早くラップ・ミュージックを披露して一躍アイドル・スターへと成長し[21]、これによって李は音楽プロデューサーとして初めての成功を得た[23]

この頃の李は破格のギャランティーを提示されるほどテレビ司会者として引っ張りだこで、温和で機知に富んだ語り口で青少年を中心に高い人気を集めていたが[24]、1995年に「SM企画」を「SMエンターテインメント」として法人化させ、翌1996年にデビューしたアイドルグループ「H.O.T.」を成功させてからは音楽プロデュースや会社運営に専念し、これ以後、同じくアイドルグループのS.E.S.神話フライ・トゥ・ザ・スカイBoA東方神起少女時代らをスターに育て上げた。この功績から、2005年には韓国の時事週刊誌「時事ジャーナル」の「韓国芸能界で最も影響力のある人物」に選出されるとともに[25]、韓国芸能芸術協会主催の大韓民国芸能芸術賞において「芸能芸術発展の姿」賞を受賞している[26]

人物[編集]

家族・親類
既婚で息子が2人いる[27]。このほか、姪(兄の娘)にアイドルグループ「少女時代」のサニー(本名:イ・スンギュ)がいる[28]
友人・知人
現代自動車代表理事社長(1999年 - 2001年)、第17代国会議員(2004年 - 2008年、ウリ党大統合民主新党統合民主党所属)、ウリ党議長秘書室長(2006年 - 2007年)を務めた李啓安(イ・ゲアン)は、高校時代からの友人[29]。また、1980年代に共に「馬三トリオ」と呼ばれた歌手の李文世(イ・ムンセ)やユ・ヨルとは、芸能活動を止めた以後も家族ぐるみで旅行に行くほどの仲だという[30]。このほか、SM社のライバルであるJYPエンターテインメントの創業者であるパク・ジニョンとは度々会う機会を設け、パク曰く牽制することもなく親身に経営の相談に乗っているという[31][32]
株式資産
韓国芸能界関係者の株式保有総額ランキングでは、李が2012年まで1位の座を長期にわたり維持していた。韓国・財界専門サイトの財閥ドットコムによれば、2012年8月24日の終値基準で、李の保有株式評価額は、2420億ウォン(当時の為替レートで約167億円)だった[33]。これは、当時のSM株の時価総額が、歴代最高値である1兆1255億ウォン(約780億円)まで増加したのが要因だった。しかし、同年9月には、YGエンターテインメント代表のヤン・ヒョンソクに初めて1位の座を奪われた[34]。しかし、2013年12月2日時点では、李が再び1位の座に返り咲いている。同日時点での株式評価額は1866億8000万ウォン(当時の為替レートで約181億985万円)である[35]
評価
経営者としては、先んじて韓国音楽を国外に輸出し成功させた点が高く評価されているが[2]、その一方で音楽プロデューサーとしては、商業的な思惑によって独創性を欠いた「作られた歌手」を生み出したと批判されることが多い[1][36][注釈 4]。このような批判に対して、李は「そのような歌手には需要があるのだから受け入れるべき」と反論しているが[1]、李自身は「作られた歌手」を特別好んでいるという訳ではないようで、SMエンターテインメントからデビューしながら珍しく「作られた歌手」ではないフォークシンガーのチュ・ガヨルは、自らをスカウトしてくれた李について「私と同じフォークシンガーだったので、BoAや東方神起らを育てているなかで物寂しさを感じていたようだ」と語っている[38]
海外進出の動機
SMエンターテインメントが歌手の海外進出に積極的な理由について李は、「私は国内だけで有名な歌手というのがとても残念でした。私が有名だったときにはアメリカではエルトン・ジョンが、全世界的に有名でしたし、日本では西城秀樹が有名でした。私は今回、S.E.S.のおかげで西城秀樹を隣で見ましたけどね。うれしかったですね(笑)。私が韓国で有名だった頃は、韓国でも西城秀樹のファンはとても多かったです。ですが、日本では私のファンはいませんでしたよね。中国にもいませんでした。ですから全世界までもは無理だとしてもアジアだけでも知られればそれはそれで幸福なことだし、そしてそれは国家的な経済にもつながることですよね。ハリウッドを見ながらいつも思っていました。韓国も良いスターが育てば、全世界に有名になるだろうに。私達の品物も、もしくは私達も売れると思うんだけどなあ。なぜ国家ではやらないんだろう。じゃあ私がやらなくては。歌手の時にこういう考えを持っていたんです。今その夢を少しずつ実現しているような気がします[39]。と語っている。
西城秀樹ファン
前述のように、西城秀樹のファンであることを公言している。昔の韓国では、日本大衆文化の流入が禁止されていたが、「日本に近い釜山ではテレビの電波が受信できる。西城さんの番組を見るために、わざわざ釜山まで行った覚えがある」[40]とも語っている。
経営者としての金銭感覚
自社より高額の契約金を提示する他のプロダクションに所属タレントが引き抜かれていることを許している点に関して、李は時事週刊誌のインタビューで「営利企業は利益を追求することが目的であるため、タレントが利益をむしばむほどの対価を求める行為を許容することはできないし、実際それを無視して引き抜きをして成功したという企業は見たことがない」旨答えたことがある[41]。このような考え方は歌手時代から変わっていないようで、1976年に地球レコードへ移籍してヒットを飛ばした際、歌手は皆少しでも売れるとすぐに分け前を要求するのに李は何も言って来ないことから、不思議に思った地球レコードの社長が訳を尋ねたところ、李は「もう契約通りの額はもらっている」とだけ答え、これに社長がいたく感心して褒美を出したという逸話も残っている[42]

ディスコグラフィ[編集]

ソロ名義のアルバム[編集]

  • ネ チンジョン タンシヌル/ヘンボク - 내 진정 당신을/행복(私の真心あなたに/幸福) (1977年、JLS-1201267)
  • マウム/マルチョム ヘジョヨ - 마음/말 좀 해줘요(心/話してよ)(1978年、S-8054)
  • エチャン コクジプ - 애창 곡집(愛唱曲集)(1978年、JLS-1201402)
  • グレイテスト - Greatest (1980年、UL-814)
  • ヘンボク/ハンソンイ クム/モドゥンゴッ クンナン ティ - 행복/한송이 꿈/모든것 끝난뒤(幸福/一輪の夢/すべて終わった後) (1983年、SIS-830218)
  • キダリヌン ナ/トラワ - 기다리는 나/돌아와(待つ私/戻ってきて) (1985年、HC-200251)
  • クッチ オムヌン スンガン/フトジン ヤクソク - 끝이 없는 순간/흩어진 약속(終わりなき瞬間/散った約束) (1986年、ALS-1385)
  • ニュー・エイジ - New Age (1987年、ALS-1390、1989年にCD化〈ACD-080〉)
  • ニュー・エイジ2 - New Age 2 (1989年、HC-200428)

グループ名義のアルバム[編集]

  • サウォル・グァ・オウォル
    • オアシス・フォーク・フェスティバル1 - Oasis Folk Festival Vol.1 (1972年、OL-1077)[注釈 5]
  • イ・スマン・グァ・365イル(イ・スマン・グァ・サムベク ユクシボーイル)
    • イ・スマン・グァ・365イル - 이수만과 365일 (1980年、UL-80048)

出演[編集]

以下のうちテレビとラジオは、すべて司会ないしパーソナリティーを担当した番組である。

テレビ[編集]

  • MBC大学歌謡祭 - MBC대학가요제 (1977年 - 1980年・1991年 - 1993年・1998年、MBC
  • MBC江辺歌謡祭 - MBC강변가요제 (1985年・1988年 - 1990年、MBC)
  • 火曜日に会います - 화요일에 만나요 (1986年 - 1987年、MBC)
  • 芸能街中継 - 연예가중계 (1986年、KBS第2
  • 若さはいっぱいに -젊음은 가득히 (1987年 - 1989年、MBC)
  • 新婚は美しい - 신혼은 아름다워 (1990年 - 1992年、KBS第2)
  • おしゃべりショー出会い - 이야기 쇼 만남 (1992年 - 1994年、MBC)
  • 日曜日日曜日夜に - 일요일 일요일 밤에 (1994年 - 1995年、MBC)
  • イベント出会い - 이벤트 만남 (1994年、MBC)
  • 瞬間捕捉 あなたが特ダネ - 순간포착, 당신이 특종 (1994年 - 1995年、SBS
  • TV電波王国 - TV 전파왕국 (1995年 - 1996年、SBS)
  • イ・スマン・ショー - 이수만 쇼 (1995年 - 不詳、現代放送)
  • 生放送「朝」 - 생방송 아침 (1996年 - 不詳、MBC)

ラジオ[編集]

  • ビバ・ポップス - 비바 팝스 (1970年代後半、TBCラジオ〈AM・FM〉)
  • 星が輝く夜に - 별이 빛나는 밤에 (1980年頃、MBCラジオ)
  • 若さの音楽キャンプ - 젊음의 음악캠프 (1987年 - 不詳、MBC-FM)
  • ポップス・トゥナイト - 팝스 투나잇 (1988年 - 1989年、MBC-FM)
  • イ・スマンと共に - 젊음의 음악캠프 이수만과 함께 (1989年 - 1990年、MBC-FM)

CM[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 「ファルジュロ」は李秀満の実兄が脱退し、ペ・チョルスが所属していた1978年に第2回MBC大学歌謡祭の大賞を受賞して注目を集め、その直後にメンバー構成を変更して「ソンゴルメ」(はやぶさ)としてレコード・デビューを果たし、1980年代、韓国ロック界を代表するバンドに登りつめた。
  2. ^ 「サウォル・グァ・オウォル」のデビュー・アルバムのジャケット写真には李秀満がおらず、代わりに新メンバーのキム・テプンが写っているが、再録する金銭的余裕がなかったため、収録曲には李の歌声がそのまま使用されている[5]
  3. ^ 1975年12月に突然、新進気鋭の人気歌手やミュージシャンなど50人以上の芸能人がかつての大麻使用をとがめられ逮捕された事件[10]。当時韓国では、大麻の使用は「習慣性医薬品管理法」で禁止されていたものの機能しておらず、それまで逮捕者が発生することはなかった[10]
  4. ^ 具体的には、「呪文-MIROTIC-」の有害指定問題の際、結果的にSMエンターテインメント側に加担した韓国の音楽評論家、任珍模(イム・ジンモ、임진모)から、「(李が生み出した)東方神起は歌手ではなく、金を稼ぐ機械」と評されたことがある[37]
  5. ^ 『オアシス・フォーク・フェスティバル1』は、オアシス・レコードのコンピレーション・シリーズ『オアシス・フォーク・フェスティバル』の第1弾でもある。

出典[編集]

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