李囂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 囂(り きょう、生年不詳 - 632年)は、中国の太宗李世民の十一男で母は燕妃[1]

貞観5年(631年)、江王に立てられた。貞観6年(632年)、世を去った。は殤。後嗣がなく、封国は除かれた[2] [3]

脚注[編集]

  1. ^ 新唐書』「燕妃生貞,又生第十一子
  2. ^ 新唐書』「江殤王,封之明年薨,無後。」
  3. ^ なお、後に中宗の時期になって、李恪の孫の李禕中国語版が江王に封じられる際に李囂の後と記されている。『新唐書』「少有志尚,事繼母謹,撫異母弟祗,以友稱。當襲封,固讓祗,中宗嘉其意,特封嗣江王,以繼後。」

参考文献[編集]