李儒
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李 儒(り じゅ、生没年不詳)は、中国の後漢末の人物[1]。
董卓が入朝した頃に官界にあった。後漢書皇后紀には、弘農王の郎中令に就いており、董卓に廃された弘農王劉弁に毒薬を飲ませて殺したことが書かれている。董卓の死後、李傕から侍中に推薦された際、弑逆の罪で献帝によって殺害されそうになるも、李傕のとりなしを得ている(『後漢紀』)。
『演義』では董卓の娘婿として登場する。董卓が洛陽を支配した後に、弁皇子の殺害及び献帝の擁立や、諸侯による董卓討伐軍が洛陽に迫ったことへの対策として長安への遷都など、董卓による悪政の進言を積極的に行なうなど、知恵袋的人物として活躍する。また連環の計にも気付き、呂布との対立を深める董卓を諫めるも聞き入れられず、「我等全員女(貂蝉)の手に掛かって死ぬのか」と嘆いている。最期は192年に董卓が暗殺されたとき、王允によって連座として捕らえられ四つ裂き刑にされる。ちなみに横山光輝の三国志では呂布が董卓を殺した直後の城外での乱闘で呂布に突き殺されている。

