李惲

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李 惲(り こん、生年不詳 - 上元元年12月8日675年1月9日))は、中国の太宗李世民の七男。蒋王に立てられた。

経歴[編集]

李世民と王氏の間に生まれた。

貞観5年(631年)、郯王に封じられた。貞観8年(634年)、洺州刺史に任じられた。貞観10年(636年)、蒋王に改封され、安州都督に任じられて、実封800戸を受けた。貞観23年(649年)、実封1000戸を加えられた。永徽3年(652年)、梁州都督に移された。

李惲は器物の造作や服飾を楽しみ、車は400両を所有して、州県を通るたびに護衛のため騒然としていた。そのため役人が訴えて奏上したが、高宗は不問に付した。のちに遂州刺史・相州刺史を歴任した。上元元年(674年)、箕州刺史に転じた。

ときに録事参軍の張君徹が李惲の謀反を誣告したため、高宗の使者が取り調べに来ると、李惲は恐れて自殺した。高宗が謀反の実態のないことを知ると、張君徹を斬り、李惲に司空荊州大都督の位を追贈し、昭陵に陪葬した。

子に李煒・李煌・李休道があった。李煒ははじめ汝南郡王となり、李惲が亡くなると、蒋王の位を継いだ。武則天のために殺害された。李惲の子の李煌と孫の李承祖は蔡国公に封ぜられた。

関連項目[編集]

伝記資料[編集]

  • 旧唐書』巻76 列伝第26「蒋王惲伝」
  • 新唐書』巻80 列伝第5「蒋王惲伝」