杉山治夫

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杉山 治夫 (すぎやま はるお 1938年 - 2009?年 )は、元消費者金融経営者・元実業家。日本百貨通信販売を含む杉山グループ元総帥。「借金取り立て王」・「腎臓売買王」 ・「闇金残酷取り立て王」・「闇金業界のグランドスラム」などと言われる、あるいは自称している。

来歴[編集]

出生[編集]

高知県高知市出身。大阪府育ち。漁師だった父は稼いだ金を酒と博打に注ぎ込み、愛人の元へ蒸発。残された杉山は、父に移された梅毒で失明した母と共に、ベニヤ板を立てかけただけの納屋に住みながら、焚き木集めや盗み食いをする極貧の生活を送る。小学校入学後も栄養失調による心身の不調に悩まされ、自殺未遂も起こしている。

起業、二度の倒産[編集]

その後、中学校を2年で中退し、時計店に丁稚として勤めていたが、17歳で借金を抱えたその時計店を買収。「杉山時計店」に改名して、中古時計や密輸品を原価以上の価格で販売。電気店・眼鏡店・ホテルなどの多角経営で莫大な利益を出した。

23歳で良家の娘と結婚。順風満帆と思われた矢先に、不渡りと事業の失敗で倒産。借金の取立てに来た高利貸しを説得して、その社長秘書に転職した。高知に戻り、半年後には「杉山眼鏡」を設立。再びホテル経営や高利貸しなどの経営に乗り出したが、暴力的な取立てで2ヶ月留置される。3年後には、後に杉山グループの中核となる日本百貨通信販売を設立。従業員90名を有したが、再び不渡手形を出して倒産。多額の借金を背負い、六甲山暴力団に危うく埋め殺されそうになるが、親分に度胸を認められ組員となり、難を逃れる。

東京進出[編集]

3年後、29歳で東京進出を決意。組の目を盗み、東京出張の度に地盤を固め、10年で闇金融手形割引地上げ、腎臓売買、売春強要を主とし、約1,200億円の財産、金満家教会以下120の会社を持つ杉山グループ総帥となる。

この頃から、その暴力的取立てが社会問題となり、ワイドショーの取材も受ける。1983年のインタビューでは、ミッキー安川須田哲夫が「お札を見たら死んだ人の顔が浮かびませんか?」と杉山に詰め寄り、杉山が「金が欲しいのか!? 金が欲しいんだろう!」と叫びながらステッキで札束を叩く、物や一万円札を投げつけるという、パフォーマンスに近いバトルを幾度も繰り広げた。しかし後に、このやり取りは打ち合わせでの演出、とミッキー安川はルポライターとのやり取りで明かしている。杉山と結託したマスコミ各社(前述の須田を含む)は、サラ金関係者を面白おかしく取り上げたことにより、その被害を広げる結果となった。

逮捕[編集]

2002年3月21日に、偽造した金銭借用証書を使って訴訟を起こし、相手から現金をだまし取ろうとした訴訟詐欺の疑いで逮捕された。杉山は「参りました」と容疑を認め、2003年4月17日、東京地裁で懲役7年6ヶ月(求刑懲役8年)の実刑判決が出された。

死去[編集]

実話ナックルズ2014年3月号の記事によれば服役中にガンが見つかり、獄中死していたとのことである。相続の問題からその死は伏せられたという。

著書[編集]

関係項目[編集]

外部リンク[編集]