朽網鑑康

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朽網 鑑康(くたみ あきやす 、文亀2年(1502年) - 天正14年(1586年))は、大友氏の重臣。三河守。入田親廉の子。
法名は宗暦(そうれき)。

大友一族の入田氏入田親廉の次男で最初は入田鑑康という。朽網親満の謀反により絶えていた大友氏譜代の藤原姓古庄氏嫡流の朽網氏を継ぎ、朽網鑑康と名のり大友氏の加判衆を務める。
薩摩島津氏の北上に山野城で対抗したが、すでに隠居の身で病床にあった。病をおして諸将を指揮したが病には勝てず85歳で病死した。一説によると島津氏と和睦した嫡子の朽網鎮則の行為に憤死したともいわれる。鎮則は薩摩に逃れ、次子の朽網鑑房蒲池鎮漣の娘の徳子の夫となり、玖珠の浪人となる。

朽網鑑康の墓は、久住町大字有氏字岳麓寺2915にあり、碑銘は「朽網領主 救民三河守藤原鑑康公」とあり、墓の管理者は古庄姓である。

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