朱耀翰

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朱耀翰
誕生 1900年[1]
平安南道平壌
(現在の朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
死没 1979年
職業 詩人
言語 韓国語
国籍 韓国
教育 日本の東京第一高校(後の早稲田大学
活動期間 1919年 – 1979年
ジャンル
代表作 「火遊び」
処女作 「火遊び」
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朱耀翰
各種表記
ハングル 주요한
漢字 朱耀翰
発音: チュ・ヨハン
英語表記: Yo-han Chu
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朱耀翰 (チュ・ヨハン、주요한、1900年1979年)は韓国詩人である。平安南道平壌(ピョンヤン)出身。[1]

略歴[編集]

朱耀翰は、詩人でもあるが、言論人、政治家、商工人として活動した。1947年には大韓貿易協会会長、1958年には民主党の議員、1960年には商工部の長官などを歴任した。

朱耀翰の詩の世界は、上海に亡命した時の前後に分かれる。亡命以前の初期詩は、日本の近代詩の影響をうけた作品を残している。特に、フランスの象徴詩人であるポールフォット(Paul Fort)の影響で散文的な表記が目立っている。このような傾向は「火遊び」などでよく見られる。

上海亡命の時は、異国での望郷と懐かしさ、そして異国的な風物などを抒情的に唄った「上海物語」、「シナ少女」、「公園で」などの代表作を書いた。

朱耀翰は、金億と同じく韓国の初期詩壇の開拓者として、西欧模倣の詩風から伝統的な詩風へ回帰する過程を見せてくれる詩人のうち一人である。

受賞歴[編集]

主な作品[編集]

  • 1924年、『아름다운 새벽』(美しい明け方)[2]
  • 1929年、『3인 시가집(공저)』(三人の詩集)
  • 1930年、『봉사꽃』(鳳仙花)

脚注[編集]

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  1. ^ a b [1] NAVER(韓国語) 2014年閲覧。
  2. ^ [2] 韓国現代文学大辞典 2014年閲覧。