本薬師寺

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本薬師寺(もとやくしじ、ほんやくしじ)は、奈良県橿原市の東南に位置する藤原京薬師寺と呼ばれた寺院[1]。後の持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺である。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、両寺を区別するために本薬師寺と呼ばれる[1][2]。また、平城京に造営された薬師寺に対して、藤原京薬師寺とも称される[1]。これまでの発掘調査により、およそ11世紀初頭まで存続していたことが認められている[3]。現在は、橿原市城殿町の医王院(白鳳山醫王院)の境内に、伽藍遺構の礎石が一部残る。

歴史[編集]

  • 天武天皇9年(680年)11月、天武天皇により発願される[4]
  • 天武天皇11年(682年)頃までに着工されたという。
  • 天武天皇15年、朱鳥元年(686年)に天武天皇が亡くなり、持統天皇が引き継ぐ。
  • 持統天皇2年(688年)頃までに伽藍が整った。
  • 文武天皇2年(698年)に完成したというが、8世紀まで造営は行われたとされる[2]
  • 昭和27年(1952年特別史跡に指定された。

伽藍[編集]

寺域は、藤原京右京八条三坊の全域を占める[2]。伽藍は、薬師寺式伽藍配置であり、中央に金堂があって、その手前に左右対称の東塔と西塔を配しており、その前面(南)にある中門の両側から、回廊が背面(北)の講堂の両側まで取り囲んでいた。金堂・東塔・西塔の基壇や礎石は薬師寺と同じぐらいの規模であるが、発掘調査により中門や回廊の規模および構造が異なることが分かっている[2]。薬師寺と伽藍配置はほぼ同じだが、回廊が複廊の薬師寺に対して本薬師寺は単廊である。ただし、薬師寺の回廊の発掘から、平城京の薬師寺も当初は単廊で造営が進められたことが明らかになっている[5]。そのほか塔初層の裳階が吹き放しであったと考えられるなど薬師寺との違いが細部にある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 上野 (2010)、112頁
  2. ^ a b c d 『奈良県の歴史散歩 下 奈良南部』 奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編、山川出版社〈歴史散歩 29〉、2007年、20-21頁。ISBN 978-4-634-24829-8
  3. ^ 上野 (2010)、126頁
  4. ^ 和田萃 『飛鳥』 岩波書店〈岩波新書850〉、2003年、186-188頁。ISBN 4-00-430850-X
  5. ^ 上野 (2010)、112-113頁

参考文献[編集]

  • 上野邦一 『建物の痕跡をさぐる』 連合出版、2010年ISBN 978-4-89772-256-6
  • 西岡常一ほか「斑鳩の匠宮大工三代」徳間書店のち平凡社
  • 西岡常一ほか「蘇る薬師寺西塔」草思社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度29分34秒 東経135度48分1秒