本多 忠穆(ほんだ ただひこ、天保元年(1830年) - 安政3年(1856年))は、伊勢神戸藩の世嗣。
越後国新発田藩主・溝口直諒の六男。子は大給松平乗恵(長男)、娘(有栖川宮熾仁親王妃)、娘(徳川茂承継室)。
神戸藩第6代藩主・本多忠寛の養子となるも、家督相続前の安政3年(1856年)に早世した。享年27歳。代わって、出羽国新庄藩から本多忠貫が養子に迎えられ、嫡子となった。