本埜村
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目次 |
[編集] 概要
現在の人口9000人あまり。都心から50km圏にもかかわらず、水と緑に恵まれた豊かな土地が広がり、毎年冬には越冬のために800羽を越す白鳥が飛来する。
以前は農業を主な産業としていたが、1990年代後半より村西部の千葉ニュータウン(滝野地区)の開発によって人口が激増した。また成田空港が近いこともあり、近年国道464号沿道には企業の研究所や物流センターの進出が目立つなど開発が進むが、農村と都市が共存する街づくりが行われている。
[編集] 地形
[編集] 市内の河川・湖沼
[編集] 沿革
- 1913年(大正2年)4月1日 本郷村、埜原村が合併して成立した。千葉県にある村としては、最も歴史が古い。
- 1997年(平成9年)3月 千葉ニュータウンの一部として開発された滝野地区が街びらき。ベッドタウン化が進む。
[編集] 人口
| 本埜村と全国の年齢別人口分布図(比較) | 本埜村の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は本埜村
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 行政
[編集] 市町村合併
印西市・白井市・印旛村・本埜村の2市2村の合併が検討され、2003年4月1日には「印西市・白井市・印旛村・本埜村合併協議会」が設立されていたが、2004年7月の白井市で行われた住民投票で反対票が過半数をしめ、合併計画は白紙となった。詳細は、北総市を参照。
その後、印西市・印旛村・本埜村の1市2村の枠組みで、市町村の合併の特例等に関する法律(新合併特例法)の期限である2010年3月末までの合併に関する話合いを行うために、2008年10月24日印西市・印旛村・本埜村合併問題懇談会が、 それぞれの市村の長及び議会議員の代表により構成され設置された。そして、2009年1月9日印西市・印旛村・本埜村合併協議会が設置された。
なお、合併の期日は2010年(平成22年)3月23日とし、合併方式は印西市に印旛村、本埜村を編入する編入合併となり、新市の名称については「印西市」の予定であるが、本埜村の小川利彦村長が、「現時点で合併の必要を感じていない」などと発言しており、実現性が不透明な状態である。
[編集] 姉妹都市
[編集] 教育
[編集] 小学校
- 本埜村立本埜第一小学校
- 本埜村立本埜第二小学校
- 本埜村立滝野小学校
[編集] 中学校
- 本埜村立本埜中学校
- 本埜村立滝野中学校
[編集] 交通
村内に鉄道は通っているものの駅はなく、バスも本数が少ないため車社会の傾向が強い。また、千葉ニュータウンに位置する印西牧の原駅周辺(滝野地区)では、ベッドタウン化により都心方面への通勤客も多い。
[編集] 道路
[編集] 鉄道
南部には北総鉄道北総線・北部にはJR成田線(我孫子支線)が通るが、駅はない。
[編集] 観光
- 龍腹寺(天台宗)
- 押付の水塚
- 水塚は、かつて暴れ沼と言われた印旛沼の洪水から、人命や家財を守るため平地より土地を高く盛り家や蔵を建てた物の名称で埜原地区や、栄町の布鎌地区などに多く残っている。この押付の荒井家の水塚は、その中においても高さ、堅牢ささ、豪華さで群を抜いて立派なものであり、県指定・有形民俗文化財に指定されている。
- 栄福寺薬師堂
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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