末廣農場

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末廣農場(すえひろのうじょう)とは、現在の千葉県富里市七栄650-2にあった試験農場1887年旧下総種畜場の用地343町歩を、三菱財閥二代目の岩崎弥之助が購入し、1912年、弥之助の甥である岩崎久弥がここに末廣農場を設置した。千葉県における近代農業発祥の地とされる[1]

概要[編集]

  • 「末廣」とは地名ではなく、扇型に開く独特の地形を東京などから入植した人々が「末廣野」「末廣野原」と呼称していたことにちなむ。

歴史・沿革[編集]

運営とその成果[編集]

正弥による運営[編集]

  • 洋式の養鶏法で上質な肉を生産し、宮内省などにのみ流通。好評だったが、高コストだったために一般に流通しなかったほか、営利事業としては上手くいかなかった。

久弥による運営[編集]

  • 月に数度は東京の本邸から通う。
  • 農場長の橘常喜に対し、「採算を度外視して、畜産界の改良進歩に資し得る模範的実験農場を作って貰いたい」と言った。自己利益的な農業と畜産を実施するのみでなく、畜産と農業の改良に関する多くの資料を作り、逐次各方面の研究会などに発表、提供した。

成果[編集]

  • 欧米の最新機械を導入し、先進的組織的農法での運営。
  • 養鶏は最高時には8000羽を飼育。産卵は年間45万個。
  • 養豚は年間1000頭を生産し、ハムなどの加工製品を自家製造、立川養豚場を通じて販売。
  • 農業は試験農場として、主に小豆小麦を生産。北総地域では収穫の難しかった大豆の多収穫方法を確立。
  • 千葉県農業試験場から、白菜西瓜原々種栽培を委託された。

逸話[編集]

  • 「物にはそれぞれ使命があるのだから、最後までその使命を全うさせるようにしなければならぬ。古い草鞋堆肥にすれば、まだ十分役立てることができる。」

農場内に打ち捨ててあった草鞋を見つけ、使用人をいさめた時に向けた言葉。

近年の状況[編集]

長らく三菱地所の管理のもとにあったが、2012年秋に所在地である富里市に寄付された。敷地は2013年2月28日に同市の市指定史跡とされ、2013年12月24日には主屋、東屋、石蔵が近代和風建築としての価値を認められ、国の登録有形文化財[2]とされた。現在は公開に向けた計画策定が進行中である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 旧末廣農場跡 | 富里市”. www.city.tomisato.lg.jp. 2018年11月14日閲覧。
  2. ^ 平成25年12月24日付官報告示