木村一喜
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 山梨県北杜市 |
| 生年月日 | 1977年10月5日(34歳) |
| 身長 体重 |
173cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 2000年4月12日 |
| 最終出場 | 2008年6月9日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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木村 一喜(きむら かずよし、1977年10月5日 - )は、元プロ野球選手(捕手)。2008年の登録名は「木村 考壱朗」(きむら こういちろう)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
帝京第三高等学校時代は高校通算36本塁打を記録した。
卒業後は日本通運に進み、1997年の都市対抗野球で準優勝。1999年にはシドニーオリンピックアジア予選の野球日本代表候補に選出される。
1999年のドラフト2位で広島東洋カープに入団。パワフルな打撃が持ち味で、チーム内の主力捕手がベテラン揃いの中で、即戦力捕手として期待された。
[編集] 現役時代
[編集] 広島時代
1年目から一軍出場を果たし、2002年から大幅にスタメン出場の機会が増加する。持ち前の打撃センスをいかんなく発揮、シーズン終盤まで3割3分台の高打率をマークし、「隠れた首位打者」と呼ばれた。規定打席には到達できなかったものの、打率.314という好成績を残した(ちなみに、もし規定打席に到達していれば、広島では西山秀二以来2人目となるシーズン3割捕手となっていた)。一方リード面にやや課題があった。強肩ではあったが、スローイングの技術もお世辞にも上手いとは言い難く、盗塁阻止率はあまり高くない。そのような点もあり、バットで結果を残してもすぐに本職の捕手としてのレギュラー獲得というわけにはいかなかった。
2003年は代打出場が多かったものの、2本の同点タイムリーを放つなど、持ち前の勝負強いバッティングは健在であった。その打力を買われ、一時期、野手(三塁手)コンバートの噂も出たが、結局コンバートされずに終わった。
2004年は春季キャンプ中に門限破りと日南市内の飲食店で一般客とトラブルを起こし顎を骨折したためにシーズン開幕から大きく出遅れ、復帰後の成績も振るわず不本意な1年となる(この2件で罰金30万円を払う。ちなみに同行していた鈴衛佑規も10万円のペナルティを科された)。
2006年シーズンより石原慶幸・倉義和などの起用が多くなかなかスタメン出場ができなくなったが、6月27日の阪神戦でスタメン出場する。しかし先発黒田博樹のフォークボールを取りきれず、右手に当ててしまい骨折。またしてもシーズンを棒に振ってしまった。オフの契約更改で、1500万円から限度額いっぱいの25%減の1125万円とみられる球団提示がされたが、「きりのいい数字にしてください」と自ら限度額を上回る33%減を志願し、500万減の1000万円でサインした。
2007年シーズンは4試合の出場にとどまり、10月に球団から戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトに参加後、東北楽天ゴールデンイーグルスのテストを受け合格、採用が決まった。12月6日に楽天と正式契約を交わし、翌12月7日に球団事務所で石川賢と共に入団会見を行った。
[編集] 楽天時代
2008年1月24日、登録名を本名の「木村一喜」から「木村考壱朗」に変更。これはかつてイチローの姓名判断をした人に促されたものであり、一喜では画数があまり良くなかったという。
迎えたオープン戦ではマスクを被ることは少なかったが代打でよく起用され、また木村自身もその起用によく応え、開幕一軍入りを勝ち取った。しかし、公式戦ではその打撃を発揮できず無安打に終わり、2008年10月1日にわずか1年で球団から2度目の戦力外通告を受けた。
[編集] 引退後
2009年、BCリーグ・福井ミラクルエレファンツのバッテリー兼打撃コーチに就任。5月30日の富山戦で、判定に対して審判員に対して長時間抗議したため退場処分となった。この行為に対して5月31日に謹慎処分1日となり、さらに6月4日から出場停止3試合の処分がなされた。処分が明けた6月7日、本人の申し出により退団した。
[編集] エピソード
- 2005年の春季キャンプで、山本浩二監督が愛飲していた焼酎・森伊蔵を盗み飲みしたのがバレて、罰としてヘルメットと背中に野村謙二郎が書いた「森伊蔵を飲んだのは私です」の張り紙を張られたことがあった。後日、森伊蔵を製造する森伊蔵酒造から森伊蔵1本をプレゼントされたという。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | 広島 | 28 | 47 | 40 | 4 | 9 | 2 | 0 | 0 | 11 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 1 | 1 | 8 | 0 | .225 | .295 | .275 | .570 |
| 2001 | 39 | 79 | 72 | 2 | 17 | 2 | 0 | 0 | 19 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 2 | 1 | 14 | 1 | .236 | .295 | .264 | .559 | |
| 2002 | 109 | 290 | 264 | 27 | 83 | 11 | 1 | 5 | 111 | 28 | 0 | 2 | 3 | 2 | 17 | 6 | 4 | 38 | 7 | .314 | .362 | .420 | .782 | |
| 2003 | 76 | 117 | 113 | 3 | 30 | 4 | 1 | 0 | 36 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 19 | 7 | .265 | .282 | .319 | .601 | |
| 2004 | 35 | 48 | 41 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 0 | .146 | .239 | .146 | .385 | |
| 2005 | 27 | 35 | 31 | 2 | 7 | 0 | 0 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 1 | .226 | .294 | .323 | .617 | |
| 2006 | 8 | 11 | 11 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .091 | .091 | .182 | .273 | |
| 2007 | 4 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2008 | 楽天 | 9 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 通算:9年 | 335 | 642 | 587 | 39 | 153 | 20 | 2 | 6 | 195 | 59 | 0 | 2 | 10 | 3 | 36 | 9 | 6 | 94 | 16 | .261 | .309 | .332 | .641 | |
[編集] 記録
- 初出場:2000年4月12日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、6回表にネイサン・ミンチーの代打として出場
- 初打席・初安打:同上、6回表に野口茂樹から遊撃内野安打
- 初先発出場:2000年5月13日、対中日ドラゴンズ7回戦(広島市民球場)、8番・捕手として先発出場
- 初打点:2000年8月22日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、5回表に三澤興一から左中間へ2点適時二塁打
- 初本塁打:2002年4月13日、対ヤクルトスワローズ5回戦(広島市民球場)、2回裏にケビン・ホッジスから左中間へ先制3ラン
[編集] 背番号
- 27 (2000年 - 2007年)
- 58 (2008年)
- 88 (2009年)
[編集] 登録名
- 木村 一喜(きむら かずよし) (2000年 - 2007年、2009年)
- 木村 考壱朗(きむら こういちろう) (2008年)
[編集] 関連項目
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