月曜デモ

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1989年11月13日のデモの様子。20万人が参加し、自由選挙と旅行の自由を主な主張としていた。

月曜デモ(げつよう- ドイツ語: Montagsdemonstrationen)は、旧東ドイツ(現:ドイツ)・ライプツィヒ県(現:ザクセン州の一部)ライプツィヒ1982年から1989年にかけて実施された大衆運動である。ベルリンの壁崩壊への導火線となった。

2003年にも、イラク戦争参戦反対デモとして月曜デモは復活し、ドイツ各地に広がり、ドイツはイラク戦争に参加しなかった。

[編集] 1989年

東ドイツの反体制団体の呼びかけで、1982年9月から毎週月曜日に市内のバッハゆかりの聖ニコライ教会(クリスチャン・フューラー牧師)で行われる「平和の祈り」の後、市内をデモ行進するようになった。当初は数百人規模だったが次第に大きくなり、1989年10月9日には7万人が参加した。市民は「Wir sind das Volk!(我々は人民だ!)」とシュプレヒコールをあげながら行進し、人民を保護する建前の軍や警察を牽制した。この時、エーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長ドイツ社会主義統一党書記長)は弾圧の方針であったが、党のライプツィヒ県本部は住民に対話を呼びかけた。結局、デモは平穏のうちに終了。その9日後、ホーネッカーは失脚した。

ドイツ再統一後、ライプツィヒは「英雄都市」と呼ばれた。

[編集] 2003年

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