曽都区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
中華人民共和国 湖北省 曽都区
曾侯乙墓の墓穴
曾侯乙墓墓穴
簡体字 曾都
繁体字 曾都
拼音 Zēngdū
カタカナ転記 ゾンドゥ
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
湖北
地級市 随州市
行政級別 市轄区
面積
総面積 1,316 km²
人口
総人口(2009) 64.43 万人
市区人口(2009) 23.6 万人
経済
電話番号 0722
郵便番号 441300
ナンバープレート 鄂S
行政区画代碼 421302
公式ウェブサイト http://www.zengdou.gov.cn/

曽都区(そと-く)は中華人民共和国湖北省随州市に位置する市轄区

地理[編集]

曽都区は湖北省北西部の江漢平原北端、武漢市襄陽市の中間に位置している。南は宜城市及び鍾祥市安陸市京山県の4市県と、北は河南省桐柏県と接している。

歴史[編集]

曽都の歴史は古く、夏朝の始祖である炎帝神農の出生地とされることから中国での農耕文化の発祥地といわれる。「曽」の名称は殷墟から出土した甲骨文に「左比曽」、また安州六器の中にも「王令中先省南国,串貫行、在曽」と記載されるなど殷代にはすでに使用されていた。

夏殷代は歴国(頼とも)が、周代には歴、(曽とも)、の3国が位置していた。前569年により歴が、前505年には唐、戦国末には随が滅亡し、随県が設置され、漢代に継承されている。

288年太康9年)、西晋はこの地に随国を設置、469年泰始5年)には随県から随郡に昇格、535年大統元年)には西魏により随州に改編され、清末まで随州の名称が使用された。

1912年民国元年)、中華民国が建国されると州制廃止に伴い随州は随県と改称、その県公署が曽都地区に設置された。

1949年、中華人民共和国が成立すると曽都地区には随県及び洪山県が設置され、それぞれ孝感、襄陽専署の管轄とされた。1955年、洪山県の廃止に伴いその大部分は随県に編入、襄陽専署の管轄とされた。1979年、国務院は県級市の随州市のを設置、1983年には随県が随州市に編入されている。2000年、地級市の随州市と曽都区の設置を決定、県級市としての随州市の管轄区域は曽都区と改称された。

行政区画[編集]

  • 街道:東城街道、西城街道、南郊街道、北郊街道
  • 鎮:万店鎮、淅河鎮、何店鎮、洛陽鎮、府河鎮
曾侯乙墓で発掘された編鐘武漢市湖北省博物館所蔵)