曽国藩

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China Qing Dynasty Flag 1889.svg 清国の政治家
曽国藩
曾國藩(拼音: Zēng Guófān
曽国藩
曽国藩
生年月日 1811年11月26日嘉慶16年10月11日
出生地 China Qing Dynasty Flag 1889.svg 清国湖南省長沙府湘郷県白楊坪
没年月日 1872年3月12日同治11年2月4日
死没地 China Qing Dynasty Flag 1889.svg 清国南京
出身校 翰林院
前職 道光18年戊戌科三甲第四十二名同進士出身
称号 光祿大夫太傅武英殿大学士両江総督一等毅勇侯
親族 曽麟書(父)
曽国荃(弟)
曽紀芬(外祖母)
曽紀沢(長男)
曽紀鴻(二男)

任期 1860年 - 1868年
皇帝 同治帝

任期 1868年 - 1870年
皇帝 同治帝

任期 1870年 - 1872年
皇帝 同治帝
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曽 国藩(そう こくはん、拼音: Zēng Guófān嘉慶16年10月11日1811年11月26日) - 同治11年2月4日1872年3月12日))は中国代末期の軍人政治家は伯函、号は滌生(てきせい)、は文正。湖南省湘郷県の出身。弱体化した清軍に代わり、湘軍を組織して太平天国の乱鎮圧に功績を挙げた。

目次

[編集] 略歴

嘉慶16年(1811年)、湖南省湘郷県(現在は湘郷市)にて誕生。道光18年(1838年)、進士となるが、咸豊2年(1852年)に礼部右侍郎在職中に、母の死去により、喪に服すため帰郷。

太平天国の乱が勃発すると政府により団練の組織を命ぜられた。清の正規軍である八旗は堕落しており太平軍に連戦連敗であったので、曽国藩は郷勇(義勇軍的な私兵部隊)を組織すると厳格な軍紀を適用した。これが後の湘軍の元となり、強さを発揮して太平天国軍を破った。

咸豊4年(1854年)、湘軍は武昌を収復したが、軍機大臣祁雋藻が湘軍を危険視する奏上をしたため、兵部侍郎の待遇を得ただけだった。咸豊5年(1855年)、太平天国軍に攻められ武昌が陥落。

その後、南昌で一年懸けて湘軍を建て直した。咸豊7年(1857年)父である曾麟書の死去に当たっては、非常時のため、奪情起復を行い、喪に服さなかった。

湘軍は咸豊8年(1858年)には九江を、咸豊10年(1860年)には安慶を包囲して翌年に陥落させた。

1860年、政府は曽国藩に対して恐れを抱きつつも、政府軍ではどうすることも出来ず、軍機大臣穆彰阿は曽国藩を両江総督江蘇省安徽省江西省の3つを合わせた地方の軍政・民政の両方を担当する長官)、欽差大臣とした。

同治3年(1864年)、激しい攻防戦の末に太平天国軍の首都天京(南京)を陥落させ、太平天国を滅亡させた。この功績により侯爵とされる。

乱後、その功績と兵力の大きさにより、政府から警戒されるようになるが、湘軍を解散させることでこれを避ける。洋務運動にも参加し、洋式の兵器工場の設立・留学生の派遣などを行った。また後進の育成にも力を注ぎ、その幕下からは李鴻章左宗棠など多くの人材を輩出した。

1868年、清朝に仕える漢民族としては初めて、地方官としては最高位に当たる直隷総督となった。在任中には「天津教案」が発生し、その処理に当たっている。同知9年(1870年)に両江総督馬新貽が暗殺されると、曽国藩が両江総督に復帰した。同治11年(1872年)、在職のまま死去。

曽は文人としても一流であり、その作品は『曽文正公全集』・『曽文正公手書日記』に纏められている。また朱子学者としても著名であった。

両広総督曽国荃は弟、外交官の曽紀沢は長男である。

[編集] 著作リスト

  • 『曽文正公全集』(李瀚章編、李鴻章校勘。文海出版社、1976年
  • 『曽文正公手書日記』()
  • 『曽国藩家書』()

[編集] 評価

中華民国時代には、漢奸として評価は最低で現代中国でも、近代化に果たした役割は考慮されたが共産党政府が正義扱いしている太平天国を鎮圧した人物であるために、長らく悪役扱いされてきた。しかし2000年前後に曽国藩の大ブームが起こり、書店の人文書のコーナーに曽国藩に関する本が平積みされる事態まで起こった。

こうした「曽国藩」ブームは、政治家として位人臣を極め、さまざまな新しい政策を行いつつも、失脚することなく最期まで富貴のまま終わった彼の生きざまを学ぼう、ということから起こっていたようだ。改革開放によって生じた中国人の志向がよく出たエピソードである。なお、本の内容には曽が作った家訓や、身の処し方について記したものが多い。

[編集] 外部リンク


先代:
何桂清
両江総督
1860-1868
次代:
馬新貽
先代:
官文
直隷総督
1868-1870
次代:
李鴻章
先代:
馬新貽
両江総督
1870-1872
次代:
何璟
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