曹チョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
本来の表記は「曹攄」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

曹 攄(そう ちょ、生年不詳 - 308年)は、顔遠で、皇族西晋政治家武将曹休の曾孫に当たる。祖父は曹肇で、父は曹興従子曹毗がいる。『三国志』「曹休伝」の注に引く『文士伝』に記載があり、『晋書』では「良吏伝」に曹攄伝がある。

[編集] 経歴

彼は若い時から、祖父譲りの文学的才能に長じていたという。西晋の武帝・司馬炎にその才能を愛され信頼された。洛陽県令襄陽太守・征南司馬を歴任し、その業績を挙げたために彼の名は高まったという。

八王の乱のさなか、大司馬の斉王・司馬冏によって、文学者左思と共に記室監として招かれ、そのまま側近として仕えた。(『晋書』曹攄伝)

その後、司馬冏の記室督となったが、司馬冏が長沙王・司馬乂によって敗死すると、司馬乂によって驃騎司馬に任命された。司馬乂が敗死すると、曹攄も免官となった(『晋書』曹攄伝)。308年、地方に出て襄陽太守(「曹休伝」注『文士伝』)・征南司馬となった頃、民衆を集めた王逌が周囲の集落を襲撃していた。高密王・司馬簡崔曠を鎮圧に向かわせ、曹攄に補佐を命じた。崔曠は曹攄に先鋒を命じ、自分は後に続くと偽ったが、崔曠は退却してしまった。そのため、敵中で孤立した曹攄は戦死した。(『晋書』曹攄伝。「曹休伝」注『文士伝』によれば、呉へ賊討伐のため出征し、敗れて死亡した)

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語