曹チョ
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曹 攄(そう ちょ、生年不詳 - 308年)は、字は顔遠で、魏の皇族、西晋の政治家・武将。曹休の曾孫に当たる。祖父は曹肇で、父は曹興。従子に曹毗がいる。『三国志』「曹休伝」の注に引く『文士伝』に記載があり、『晋書』では「良吏伝」に曹攄伝がある。
[編集] 経歴
彼は若い時から、祖父譲りの文学的才能に長じていたという。西晋の武帝・司馬炎にその才能を愛され信頼された。洛陽県令・襄陽太守・征南司馬を歴任し、その業績を挙げたために彼の名は高まったという。
八王の乱のさなか、大司馬の斉王・司馬冏によって、文学者の左思と共に記室監として招かれ、そのまま側近として仕えた。(『晋書』曹攄伝)
その後、司馬冏の記室督となったが、司馬冏が長沙王・司馬乂によって敗死すると、司馬乂によって驃騎司馬に任命された。司馬乂が敗死すると、曹攄も免官となった(『晋書』曹攄伝)。308年、地方に出て襄陽太守(「曹休伝」注『文士伝』)・征南司馬となった頃、民衆を集めた王逌が周囲の集落を襲撃していた。高密王・司馬簡は崔曠を鎮圧に向かわせ、曹攄に補佐を命じた。崔曠は曹攄に先鋒を命じ、自分は後に続くと偽ったが、崔曠は退却してしまった。そのため、敵中で孤立した曹攄は戦死した。(『晋書』曹攄伝。「曹休伝」注『文士伝』によれば、呉へ賊討伐のため出征し、敗れて死亡した)