暁照夫・光夫

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暁照夫・光夫(あかつきてるお・みつお)は、松竹芸能所属の音曲漫才コンビ。宮川左近ショウ消滅の翌1987年にコンビ結成。

目次

[編集] メンバー

  • 暁照夫(あかつきてるお -、1937年5月17日 - )徳島県出身、A型、本名:浜田 登志夫(はまだ としお)
  • 暁光夫(あかつきみつお -、1962年5月15日 - )宮崎県出身、A型、本名:姫野 栄一(ひめの えいいち)

[編集] 概説

照夫の父は浪曲師兼興行師で、兄も浪曲師。地元の天狗連(素人連)では天才少年浪曲師[1]として知られ、1948年二代目東洋軒雷右衛門に修行に出され、東洋軒雷坊の名を貰い四国宇和島の融通座で入門翌日に初舞台を踏む。14歳で座長昇格し独立、一座を率いて旅回りに出るが、変声期で喉を傷めて1954年から曲師・暁照雄として再出発した。

東京に出て浪曲師三門博の曲師を務めたり、大阪で河内音頭鉄砲光三郎と組んで新世界新花月道頓堀角座に上がったりしていた。その頃人気絶頂のタイヘイトリオのような歌謡浪曲路線を目指していた松竹芸能勝忠男長谷川幸延に声を掛けられ、1958年四代目宮川左近松島一夫高島和夫と共に宮川左近ショウを結成した(同時に「照夫」に改名)。程なく高島が脱退し3人になる。

1972年「第7回上方漫才大賞」受賞するなど、上方演芸界で永らく大看板を張るが、宮川左近の病死に伴い1986年トリオ消滅。照夫はピンの三味線漫談に転向し、翌1987年からは弟子の光夫と音曲漫才コンビ暁照夫・光夫を結成したが、左近ショウの印象が強烈過ぎたり、光夫が舞台上で師匠に対して遠慮勝ちだったりで、始めの頃はなかなか受けなかった。

照夫は浪曲三味線の屈指の上手として知られる[2]。ひとしきり早弾きを熱演した上で、「なんでこんなにうまいんやろ」と自惚れるギャグは、左近ショウ以来の定番である[3]

照夫は2008年に文化庁芸術祭賞大衆演芸部門大賞を受賞した[4]

光夫は浪曲師、三味線漫談で一人舞台も勤める。

また照夫はミナミでスナック『三味』を経営している。

照夫の長男は、大阪府高槻市の市長であり弁護士濱田剛史である。

[編集] 芸風

  • 宮川左近ショウ時代とは違い歌謡曲演歌などの歌ネタ、照夫の「なんでこんなにうまいんやろ」ギャグも現在でも積極的に取り入れる。
  • NHKラジオの「上方演芸会」に出演する際は、その時点で放送されている大河ドラマを題材にしたネタを披露している。

[編集] レコード

  • 徳島の夜(照夫、EPレコード、1980年8月)

[編集] 著書

  • 泣いて笑ってちりとてちん - 三味線かかえて40年 ある幸せなる芸人の浪花節的人生論(1990年、メタモル出版ISBN 4895950212

[編集] 弟子

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  1. ^ のど自慢などで入賞したり、大衆演劇の子役として舞台に立ったりしていた。浪曲師としては未熟だったが、軽い噺をうろ覚えで2席ほど覚えていた。
  2. ^ 三味線は芸者だった雷右衛門の妻らから習い、端唄小唄を仕込まれた。
  3. ^ 正式に撥を使わぬ爪弾きであるため、一種のギミックとして成立している。
  4. ^ [1]

[編集] 外部リンク

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