智ギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
本来の表記は「智顗」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
538年 - 597年11月24日
TiantaiPatriarch.jpg
尊称 智者大師
生地 草州華容県(湖南省
没地 西門石城寺
宗派 天台宗(中国)
寺院 天台山修禪寺(後の国清寺)
南岳慧思
弟子 章安灌頂
著作 『維摩經玄疏』、『四教義』
(以下は、章安灌頂による筆録)
天台五小部」・「天台三大部

(ちぎ、Zhi-yi)(538-597) は、中国僧侶天台宗の実質的な開祖であるが、慧文慧思に次いで第三祖とされている(龍樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智を第四祖とする場合もある)。智者大師ともいう。

事績[編集]

潁川の陳氏として、草州華容(湖南省華容県)に生まれた。18歳で出家し、天嘉元年(560年光州大蘇山で慧思に学ぶ。

光大2年(568年)から7年間、金陵瓦官寺で『法華経』や『大智度論』を講義。

太建7年(575年)からは浙江省天台山に登って天台教学を確立した。南朝の同族であるため、皇帝や貴族層からの信任が厚く、要請により、至徳2年(584年)再び金陵に出て、光宅寺で『法華文句』を講義した。

陳末の兵乱を廬山に避け、開皇11年(591年の晋王であった楊広(のちの煬帝)の懇請で晋王に菩薩戒、「總持」の法名を授け、晋王から「智者大師(だいし)」の号を賜わった。また、三論宗の嘉祥大師吉蔵とも交遊した。

その後、荊州玉泉寺を開創して『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』の天台三大部を講義した。ほかにも『観音玄義』、『観音義疏』、『金光明玄義』、『金光明文句』、『観無量寿経疏』の天台五小部を講義した。いずれも弟子章安灌頂により筆録される。

10年ぶりに天台山に帰り、国清寺を修復して教団の生活規定を制定した。晋王楊広の要請で『維摩経疏』を著述し、揚州に向かう途中、(596年)西門石城寺で入滅。

資料・伝記[編集]

著書[編集]

  • 菅野博史訳注 『法華玄義』 全3巻:レグルス文庫・第三文明社、新装版刊
    • 『新国訳大蔵経 中国撰述部 法華・天台部 法華玄義』 大蔵出版、2011年-刊行中(全3分冊)。
    • 菅野博史 『法華玄義を読む 天台思想入門』 大蔵出版、2013年
    • 菅野訳注 『法華文句』 全4巻:レグルス文庫・第三文明社
    • 菅野訳注 『一念三千とは何か 摩訶止観-正修止観章 現代語訳』 レグルス文庫(抜粋訳)
  • 新田雅章注・解説 『摩訶止観 〈佛典講座25〉』 大蔵出版、カバー装で新版刊
  • 多田孝正注・解説 『法華玄義 〈佛典講座26〉』 大蔵出版、同上  
  • 関口眞大校注 『摩訶止観』 上下巻:岩波文庫、※他の訳注はリンク先を参照 

関連項目[編集]

師:南岳慧思 天台宗(中国) 弟子:章安灌頂