春一番 (お笑い)

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春一番(はるいちばん、1966年8月13日 - )は、神奈川県生まれ、岡山県浅口郡鴨方町(現:浅口市)出身のお笑いタレント。本名は春花直樹(はるはな なおき)。

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[編集] 来歴

サラリーマン生活(「甘栗太郎」の社員)を経て、1985年に芸人を志し片岡鶴太郎に弟子入り。1988年NHKテレビのドラマ「翼をください」で芸能界デビュー。当時の所属事務所は太田プロダクション

アントニオ猪木物真似(猪木自身が唯一公認している)一本で勝負するスタイルで、春自身、猪木信者でもある。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』では毎回「プロレス字読みクイズ」に当然猪木の物真似付きで出場。散々なやられっぷりを見せた後に「今日も負けてしまいましたが…」「1・2・3・ダァーッ」のマイクアピールで締めるお約束で知名度が高まるが、過度の酒好きも絡んだ素行不良により、1994年に太田プロから解雇される。

お笑いウルトラクイズを若手抜擢・育成の場と考えていたビートたけしは、春にも目をかけており、周囲の人間に春に酒を飲ませないように指示を出したり(水道橋博士の証言による)、「お前が酒を止めたら、俺の番組で一生使ってやる」と説いたりしていた。たけしと同じく事務所の先輩であるダチョウ倶楽部も、春の家に電話をかけて酒を飲んでいないか様子をみるなど、気にかけていた。しかし、「お前が酒を止めたら…」の言葉に感涙した次の日にはすっかり忘れて飲みふけっていたり、しっかり飯を食べるようにとたけしから贈られた炊飯器でホットウイスキーを作っていたりと、どうしても酒を止めることができなかった。

1997年、3歳年下の女性と結婚。

1998年4月4日の引退セレモニーで猪木が読み上げた詩「道」は、春の新しい物真似レパートリーとなり、徐々に表舞台への登場が増える。「道」がプロレスファン以外にも知られるようになったのは、春の功績とも評価される。

2000年頃、猪木の活動がプロレスファンや総合格闘技ファンの間で注目を集めるようになると、春自身へのオファーもさらに増え、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。

2005年8月8日から12月にかけて、腎不全(病名は肺膿瘍)で入院し、手術を受けた。集中治療室に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという(この際、ICU内にもかかわらず猪木の携帯電話が鳴ってしまったが、猪木は悠然と電話に出て『10分後にかけ直す』と言ったという)。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木とは回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席しているとのこと。

2006年12月31日、フジテレビの「最強運2006ランキング大検証SP」に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。その後も営業や単発のテレビ出演などを精力的にこなしている。


[編集] その他

  • それまでの猪木のモノマネの定番であった「(アゴを突き出し)何だコノヤロー!」を初めてやらず(要請されれば仕方なくやる事もあるが)、純粋に猪木のトーク(主にマイクアピール)のモノマネを行ったタレントでもある。披露した当初は若い女性の客に全くウケなかったが、裏では控えの芸人仲間やスタッフが大爆笑していたという。春の営業は「1、2、3、ダァー」のかけ声だけでギャラがとれる、最もコスト・パフォーマンスの高い営業だと水道橋博士にギャグにされている。
  • 猪木だけでなく長州力山本小鉄のモノマネも出来る。かつて長州は春に会うと「お!会長!」と声を掛けたと言う。
  • 近年、同じく猪木の物まねをレパートリーとするアントニオ小猪木アントキの猪木が登場しているが、春が猪木モノマネの第一人者であることに変わりはなく、他の芸人が猪木のモノマネをすると「春一番さんのモノマネですか?」と言われることも多い。ただし小猪木の場合は試合中の猪木の動きのモノマネ、アントキのの場合はモノマネを応用したなりきりネタを主に披露しており、一方春の場合は猪木の純粋な話し方のまねが多いという、差別化された特徴がある。また、3人で『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』に出演するなど、勢揃いしての仕事も何度かある。
  • 週刊オリラジ経済白書で収入の9%としてアントニオ猪木からの小遣いを挙げている。これは猪木から貰った金額が9万円と中途半端な金額の為である。また大きな収入として携帯電話着信ボイスも挙げている。
  • 内村プロデュース内の健康診断企画において、不健康芸人のサンプルとして呼ばれたことがある(2002年5月16日放送分)。その際、γ-GTPの値が1500というあまりにも異常な結果が出たためすぐに医者から入院を勧められた。

[編集] 著書

[編集] 関連項目

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