星野富弘

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星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人画家

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[編集] 来歴

群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生まれる。群馬県立桐生高等学校群馬大学教育学部を卒業し、1970年高崎市立倉賀野中学校体育教師として着任したが、2ヵ月後に公務災害(体操部の指導中、宙返りの模範演技で失敗)により頸髄損傷の重傷を負い、肩から下の機能が麻痺する。

9年間におよぶ入院生活の間に、キリスト教の洗礼を受け、母親の献身的な看病や看護師看護学生らの助言を受けながら、口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始め、後にを添えるようになった。

退院後、故郷に帰って創作活動を続け、水彩画、ペン画に詩を添えた作品と、幼少期の体験や故郷での生活を中心とした随筆(妻による口述筆記)を織り交ぜた『花の詩画集』をはじめ、数々の著作を出版するとともに、全国各地やハワイニューヨークなどで「花の詩画展」を開催している。現在は桐生市新里町在住。

1991年には東村に村立富弘美術館が開館し、多くの人々に感動を与えるとともに、中学校の国語、道徳の教科書に随筆が掲載されている。2005年4月16日には、新美術館が旧美術館の隣にオープンした。

2006年6月20日、群馬県名誉県民の称号を授与された。生前授与は史上初。

[編集] 著作

[編集] 富弘美術館

1991年、東村(当時)草木の草木湖のほとりに、星野富弘の作品を展示する村立富弘美術館が開館した。 ふるさと創生資金を活用し、使われなくなっていた老人福祉施設を改造して、美術館にしたものである。

この頃すでに、全国各地で開催されていた「花の詩画展」やテレビ番組、また教科書に掲載された随筆などによって、彼の名は広く知られていたことから、富弘美術館は開館当初から多くの入場者が訪れ、大手旅行会社日光太平山あしかがフラワーパークなど近隣の観光地と組み合わせたパッケージツアーを企画した。

2002年には入館者が400万人を超えるまでになったが、古い建物を改造した美術館は手狭となり、また建物の老朽化を早めることとなった。このため、東村(当時)は新しい美術館を建てることとなり、新富弘美術館建設国際設計競技を行って、最優秀賞に選ばれたヨコミゾマコトの作品をもとに、旧館の隣に新館の建設に着手、2005年4月16日に新しい富弘美術館が開館した。

2005年8月、近接の商業施設(草木ドライブイン)と併せ、道の駅に登録された(道の駅富弘美術館)。

[編集] 関連項目

[編集] 関連リンク