明石鯛我

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明石鯛我(あかしたいが、本名・土井一央、1980年11月12日 - )は、元プロレスラー兵庫県明石市出身。200cm/110kg。ZERO-ONE所属であった。

[編集] 経歴

元は全日本プロレスの練習生であったが逃げ出し、その後プロレス界への未練を断ち切れずドン荒川氏の紹介でZERO-ONEの練習生に。練習生時代はZERO-ONE寮の三代目ちゃんこ番となり、その料理の腕前は歴代選手・練習生の中でも群を抜いている。また体の大きさからリングに投げ込まれた紙テープを回収する時、ザ・プレデターによく踏まれていた。その類稀なる素材により入門5ヶ月後の2003年9月14日、札幌大会の横井宏考戦でデビューする。リングネームはデビュー戦10分前に橋本真也代表から言い渡された。日本人の身長2mレスラーとして話題を呼んだが、実際の身長は196cmだった。

逆水平チョップやビッグブーツを得意技としていたが、体の大きさゆえに怪我も多く、たびたび欠場する事が多くなっていった。また、大阪大会で興奮してリングに乱入したお客さんを取り押さえようとして逆に殴られ、流血し病院に運ばれ新聞に載る事件などもあった。

2004年秋、ZERO-ONE崩壊のゴタゴタの中、明石鯛我選手の名前はひっそりと消え、ZERO1-MAX旗揚げメンバーにもその名前は無かった。当初はZERO-ONEから唯一、橋本真也についていったのではないか?とする説や、怪我で長期離脱しているだけでは、との説もあったがその後彼をリングで見る事はなかった。

明石選手がいなくなった事に対してZERO-ONEおよびZERO1-MAXからは何の説明もない。丁度団体が切り替わる瞬間だったため、説明するタイミングを逸したとも取れるがあまりに突然いなくなってしまったため、「消えたプロレスラー」としてマニアやプロレスファンからはいまだに「明石選手はどこへ?」との声があがる。これに関して公式な説明はまったくないが唯一、準公式ともいえる「ZERO1-MAX広島後援会会長(プロモーター)」のホームページから「明石選手は喉の腫瘍(病気)のため引退したそうです」との発言があり、それ以外の事はわかっておらず、過去に全日本の練習生を逃げ出した事があるため「実は黙って逃げ出したんじゃないか」と疑うファンも少なくはない。その一方、病気による引退のため本人が「そっとしておいて欲しい」と公表を避けた可能性も捨てきれない。

現在は正道会館総本部で黒帯を締め空手家として活動している。