明治天皇と日露大戦争
| 明治天皇と日露大戦争 | |
|---|---|
| 監督 | 渡辺邦男 応援監督 毛利正樹 |
| 脚本 | 館岡謙之助 原案 大蔵貢 原作 渡辺邦男 |
| 製作 | 新東宝 |
| 製作総指揮 | 大蔵貢 企画 野坂和馬 |
| 出演者 | 嵐寛寿郎 阿部九洲男 高田稔 |
| 音楽 | 鈴木静一 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 113分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
| allcinema | |
| キネマ旬報 | |
| AllRovi | |
| IMDb | |
『明治天皇と日露大戦争』(めいじてんのう と にちろだいせんそう)は、1957年(昭和32年)公開、渡辺邦男監督、新東宝製作による戦争映画である。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 日本初のシネマスコープ大型映画
1956年(昭和31年)12月、「日本初のシネマスコープ大型映画」として製作を開始。翌1957年、当時の天皇誕生日の4月29日に、「総天然色・シネパノラミック方式“大シネスコ”」、「全国民が一人残らず見る映画!」と銘打って公開された。
日本初のシネマスコープ映画は、東映が『鳳城の花嫁』をシネマスコープで急遽製作、4月2日に公開したため、記録は奪われた。本作の製作当初の広告にあった「日本最初の大シネスコ遂に出現!」の一文は、公開時には使えなかった。
シネマスコープの設備が間に合わない劇場の為に、撮影にはシネスコカメラと普通カメラの2台のカメラを並べて同時撮影し、西本正がカメラを回したスタンダードサイズ版は2週遅れの同年5月14日に公開された。
[編集] 空前絶後の大ヒット
近代の天皇を俳優(嵐寛寿郎)が演じることに対し「不謹慎ではないか」という批判や、試写会後にも「敗戦後10年少々しか経っていない今、50年も前の勝ち戦さを描く企画に無理がある」という朝日新聞の映画評もあったが、公開されるや空前絶後の記録的な大ヒット映画となった。
新東宝の上映館は数が少なかったため、松竹映配に依頼して上映館を増やしたが、都内では新宿オデヲン座、池袋・文芸座、目黒ライオン劇場といった2流、3流の映画館ばかりでの上映だった。それが映画興行史上の大記録を打ち立てたのである。上映した全ての映画館はすし詰めの超満員となった。客席ぐるりをラッシュアワー並の立ち見客が囲み、中央通路や最前列前の通路まで隙間無く床に座る観客、ロビーにまで人があふれ、上映が始まってもドアが閉められないほどだった。
観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が見た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた。同記録は、44年後の2001年、『千と千尋の神隠し』の2300万人に 1位の座を明け渡した。配給収入5億7千万円は、封切映画の入場料150円の時代の大記録であった。興収における同記録は、年々物価が上昇し、入場料金が4倍になった11年後の1968年、『黒部の太陽』がその記録を抜いた。日本語版のまま封切られた台湾でも、同地で公開された日本映画史上最大の観客動員数を記録している。ただし、その後わずか4年で新東宝が倒産したことから、同社の数年分の利益を一挙に叩き出したかのようなこれらの数字の信憑性には疑問の声もある。観客動員数に入場料をかけて単純興行収入とすると、その20パーセント未満しか配給収入に計上されていないことになり(通常は40~50%)、松竹映配とのマージン契約、割引など様々な要因で見かけほどの恩恵を新東宝にもたらさなかったことも考え得る。
まだまだ敗戦の哀しみを引きずっていた時代である。観客は、総天然色・シネスコ大画面いっぱいに映し出された、子供の頃教科書や絵本で見た日露戦争の大パノラマに涙すると同時に、世界の大国に勝利した日本人の誇りと自信を取り戻していった。
映画に、アラカン演じる明治天皇が登場すると思わず手を合わせる人も多かったという。その結果、姉妹篇である『天皇・皇后と日清戦争』(新東宝、1958年)や『明治大帝と乃木将軍』(新東宝、1959年)のほか、事実上その総集編である『明治大帝御一代記』(大蔵映画、1964年)まで作られた。嵐寛寿郎は、『日本ロマンス旅行』(新東宝、1959年)で仁徳天皇を、『皇室と戦争とわが民族』(新東宝、1960年)で神武天皇を演じている。
批判を恐れず大胆な企画を実現させた点で、新東宝社長就任2年目、大蔵貢の手腕が認められたが、この桁外れの大ヒットが同社における大蔵のワンマン体制を加速させた。
1958年(昭和33年)1月23日、アメリカ合衆国のニューヨーク近代美術館(MoMA)で、 Emperor Meiji and the Great Russo-Japanese War のタイトルで上映された[1]。
[編集] 内容
ロシアの南下政策に戦々恐々とする人々、武力侵攻を主張する七博士、御前会議、国交断絶……と、日露戦争開戦までの経緯が描かれ、仁川上陸、旅順港封鎖、黄海大海戦、203高地、奉天入城、日本海海戦、大勝利の提灯行列までを、明治天皇の御製を織り込みながらパノラマのように描いた歴史ドラマ。
一見戦争賛美映画のようだが、よく見ると一つ一つの場面が昭和の政治や軍部への間接的な批判になっていることが判るとも言われている[2][3][4]。
[編集] スタッフ
- 製作委員長・原案 : 大蔵貢
- 企画 : 野坂和馬
- 原作・総監督 : 渡辺邦男
- 応援監督 : 毛利正樹
- 脚本 : 館岡謙之助
- 撮影 : 渡辺孝 シネマスコープ版、西本正 スタンダード版
- 音楽 : 鈴木静一
[編集] キャスト
- 嵐寛寿郎 (明治天皇)
元老
内閣・侍従
大本営・侍従武官
艦隊司令部
- 田崎潤 (東郷平八郎海軍大将)
- 鳥羽陽之助 (上村彦之丞海軍中将)
- 浪野幹雄 (瓜生外吉海軍少将)
- 丹波哲郎 (島村速雄海軍少将)
- 天城竜太郎 (加藤友三郎海軍少将)
- 小笠原竜三郎 (藤井較一海軍大佐)
- 明智十三郎 (秋山真之海軍大佐)
司令部閉塞隊・他
旗艦三笠
第三軍司令部
- 林寛 (乃木希典陸軍大将)
- 高島忠夫 (乃木保典陸軍歩兵少尉)
- 中山昭二 (伊地知幸介陸軍少将)
- 村山京司 (白井中将)
- 江見渉 (山岡熊治陸軍少佐)
- 泉田洋志 (吉岡少将)
- 眞木裕 (副官)
- 三村恭二 (川上俊彦)
静岡連隊
参謀・兵
ロシア軍
民間
- 龍崎一郎 (戸水寛人博士)
- 高松政雄 (小野塚喜平次博士)
- 河合英二郎 (高橋作衛博士)
- 横山運平 (老紳士)
- 川部修詩 (司会者)
- 杉山弘太郎 (代議士)
- 御木本伸介 (代議士)
- 天知茂 (代議士)
- 築地博 (新聞屋)
- 山川朔太郎 (新聞屋)
(タイトルには女優陣がクレジットされていないが、出征兵士を送る家族の役で出演している)
[編集] トリビア
- 作家・中野重治は、自著『甲乙丙丁』の中で、自宅の桜の枝がスタッフによって伐られて、この映画の背景に使われたと記録している。
- 嵐寛寿郎は前代未聞の明治天皇役をどう演じるか悩んでいた。その姿を見た大蔵は一計を案じ、嵐が撮影所に来る時にはハイヤーで送迎し、ハイヤーが新東宝撮影所に到着すると大蔵以下新東宝の重役、スタッフが勢揃いして出迎えし「陛下のおなり」と呼び合うことを日課とした。嵐は後年、NHKの対談番組でこの日課により「自分が本当に天皇陛下になった気分がした」と述懐している。[5]
[編集] 関連書籍
- 上下巻、講談社文芸文庫、1991年 ISBN 4061961233 / ISBN 4061961241
[編集] 脚注
- ^ #外部リンク欄、Internet Movie Databaseの本項リンク先のReleaseの項の記述を参照。二重リンクを省く。
- ^ ユーザーコメント:新東宝シネスコ・イーストマンカラー(映画 明治天皇と日露大戦争 - allcinema)
- ^ 明治天皇と日露大戦争 - みんなのシネマレビュー
- ^ ユーザーレビュー:鞍馬天狗のアラカンが、明治天皇(明治天皇と日露大戦争 - ツタヤ ディスカス)
- ^ NHK教育テレビジョン『映像ファイル あの人に会いたい』2006年9月17日放送『嵐寛寿郎』内の本人インタビュー(1970年代に収録・放映されたもの)より。