昆河線

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昆河線
各種表記
繁体字 昆河鐵路
簡体字 昆河铁路
拼音 Kūnhé Tiĕlù
発音: クンホー ティエルー
英文 Kunhe Railway
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昆河線(こんがせん)は、中国雲南省昆明市昆明北駅から同省河口ヤオ族自治県河口駅までを結ぶ全長469 kmの鉄道路線である。

概要[編集]

1910年3月31日に「滇越鉄路」として昆明・ハノイ間が開通した。総延長855Km、高度差1,807m、橋梁・トンネル総数3,422の難工事路線であった。工事には6万人が従事し、開通までに12,000人が死亡している。

現在は(一部貨物を除く)中国国内唯一のメーターゲージ(線路の幅が1,000 mm = 1 m)であり、昆明市北部の昆明北駅が始発。 沿線は紅河(ソンコイ川)の渓谷であり、風光明媚。 毎週2便、ラオカイ(老街)の国境を越え、ベトナム鉄道ラオカイ線を経由してハノイまで直通列車がある。 沿線の崩落の危険性などのため、2003年より貨物運行のみとなっている。

1966年まで、この鉄道が唯一雲南省外へと通じる鉄道であった。雲南省は国内と鉄道で結ばれていないのに、国外とは鉄道で結ばれていたため、当時の雲南十八怪の一つに数えられていた。

箇碧鉄道・蒙宝線・鶏箇線・草官線[編集]

1915年箇旧市の有志が中心となって、箇旧で産出される錫などを搬出することを主な目的として、昆河線の碧色寨駅~蒙自~鶏街~箇旧間の73Kmに鉄道を建設、開通した(箇碧鉄道)。本鉄道は610mm(2フィート)のナローゲージであり、中国初の私鉄であった。その後、鶏街から分岐してさらに石屏駅まで開通(箇碧石鉄道)、また、碧色寨駅の北に隣接する草壩駅から箇碧石鉄道の雨過舗駅を経由して官家山駅に至る「草官線」も建設された。のちに、蒙自駅~碧色寨駅は廃止され、箇碧鉄道との接続は草壩駅に変更された。

1957年に共産党より接収され国有化され、1965年には蒙宝線と改称された。その後さらに宝秀駅まで延伸された。

1970年10月1日に箇旧~鶏街を除き、メーターゲージに改修され、昆河線との乗り入れが可能になった。 最後まで610mmナローゲージで残っていた箇旧~鶏街間の33.9Kmの支線(鶏箇支線)は1991年に廃止された。

沿革[編集]

  • 1898年4月 - フランスが同路線を"滇越鉄道"(滇は雲南省、越はベトナム)の滇部分として測量を開始する。
  • 1903年 - 建設が着工される。
  • 1905年 - 滇越鉄道のベトナム側(越部分 389 km)が開通する。
  • 1910年1月 - 滇越鉄道が全線開通する。建設費は1億6550万フランと言われている。
  • 1940年1942年 - 日中戦争時期 国民政府は日本軍が同鉄道に沿って進軍し、中国奥地まで侵入されることを恐れ、碧色寨-河口間を破壊する。
  • 1957年 - 復旧工事が終了する。
  • 1979年 - 中越戦争発生により、両国を結ぶ国際列車も運休となる。
  • 1996年 - 国際列車の運行が再開される。
  • 2003年6月1日 - 昆明北〜王家営を除き、旅客列車が運休となる。

駅一覧[編集]

支線[編集]

昆河線には、以下のメーターゲージの支線がある。

  • 昆石支線 … かつての滇緬線。昆明北駅から西に向かい、麻圓駅を経由して石咀駅に通じる12.9Kmの支線。
  • 昆小支線 … かつての叙昆線。昆河線の黒土凹駅で分岐し、小石壩駅に至る支線。
  • 蒙宝支線 … かつての箇碧石鉄道。昆河線の草壩駅で分岐し、蒙自駅および宝秀駅に至る支線。

関連項目[編集]