早田俊幸
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早田 俊幸(はやた としゆき、1968年5月2日 - )は岐阜県出身の陸上競技選手。
[編集] 経歴
- 県立岐阜商業時代2年生まで野球部に在籍。1987年にカネボウに入社し陸上部に所属する。主に駅伝大会での活躍は目覚しく必ず前を走るランナーをしとめることから「駅伝ハンター」の異名をとった。1988年、瀬古利彦の引退レースとなった国際千葉駅伝に出場、1992年のバルセロナオリンピック代表選考会となった東京国際マラソンでは中山竹通、森下広一らと終盤までデッドヒートを繰り広げ3位に入るなど、瀬古、中山につづく日本マラソン界のホープとして期待された。
- 1994年には広島アジア大会で銀メダルを獲得。アトランタオリンピック代表の期待が高まったが、代表選考会の福岡国際マラソンで2時間18分台、東京では途中棄権と出場はならなかった。アラコに移籍した1997年の福岡で当時国内最高記録となる2時間8分7秒を記録し復活。その後、熊本陸協を経てユニクロに入社。この時は中国電力など、マラソンのトップランナーのいる広島市に練習拠点を置き、ユニクロ広島庚午店の店頭にも立った。
- 2000年から本田技研に所属。駅伝とトラックを中心に活躍した。2003年6月に現役引退。社業に専念する傍ら、市民ランナーとして各地のマラソン大会に出走している。近年では川嶋伸次との対談や、トレイルランへの参加など、新たな道を模索して活動中である。

