早明浦ダム

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早明浦ダム
早明浦ダム
所在地 左岸:高知県長岡郡本山町大字吉野
右岸:高知県土佐郡土佐町大字中島
位置 北緯33度45分24秒
東経133度33分02秒
河川 吉野川水系吉野川
ダム湖 さめうら湖
ダム湖百選
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 106.0 m
堤頂長 400.0 m
堤体積 1,200,000
流域面積 472.0 km²
湛水面積 750.0 ha
総貯水容量 316,000,000 m³
有効貯水容量 289,000,000 m³
利用目的 洪水調節不特定利水
かんがい上水道
工業用水発電
事業主体 水資源機構
電気事業者 電源開発
発電所名
(認可出力)
早明浦発電所
(42,000kW)
施工業者 間組
着工年/竣工年 1963年/1975年
  

早明浦ダム(さめうらダム)は高知県長岡郡本山町土佐郡土佐町にまたがる、一級河川吉野川本流上流部に建設されたダムである。

独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムである。型式は重力式コンクリートダム、高さは106.0メートル有効貯水容量は2億8,900万立方メートル、利水容量は1億7300万立方メートルで、これは香川県内の全ため池(15,000ヶ所)の総容量に相当し、吉野川水系における水資源施設の中核をなす四国地方最大のダムである。吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設され、このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼす。このため「四国のいのち」とも呼ばれ、四国地方の心臓的な役割を果たす。ダムによって形成される人造湖さめうら湖と呼ばれ、2005年(平成17年)には本山町・土佐町・大川村の推薦により財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれている。

目次

[編集] 沿革

早明浦ダム計画は、1949年(昭和24年)に経済安定本部の諮問を受けた治水調査会による「吉野川改訂改修計画」で初めて立案された。この計画では吉野川上流部に二つのダムを建設し、銅山川柳瀬ダムなどと共に洪水調節を行う計画であった。この時は早明浦ダムともう一つ、瀬戸川合流点の直下流に桃ヶ谷ダムを建設する計画であり、現在のさめうら湖を二分割した形でのダム計画であった。

その翌年1950年(昭和25年)には治水に加えて四国地方の懸案事項であったかんがい用水の新規開発による吉野川の利水も検討課題にするべく経済安定本部が主体となって「吉野川総合開発計画」の策定が開始された。この計画には河川事業を司る建設省[1]、かんがい事業を司る農林省[2]、電気事業者である四国電力及び四国四県が参加し、1952年(昭和27年)には電力事業を促進すべく発足した電源開発が加わった。この総合開発計画では治水の他水力発電、銅山川分水の計画も含まれていた。当初の計画では吉野川本流に早明浦ダムと小歩危ダムの二大ダムを建設、さらに下流に池田ダムと川崎ダムの二ダムを建設するほか、銅山川には柳瀬ダム下流に岩戸ダム[3]を、穴内川には樫谷ダム[4]を、大森川には大森川ダムを建設して洪水調節とかんがい、及び水力発電を行うという壮大な計画であった。

この計画は主に経済安定本部によって示されたが、電源開発も独自の案を二案呈示し、発電事業への参画を目論んでいた。経済安定本部案・電源開発案双方でも早明浦ダムは事業の根幹として進められた。電発案では早明浦ダムを上池(吉野川第一発電所)、小歩危ダムを規模を大幅に縮小した上で下池(吉野川第二発電所)として揚水発電を行い、池田ダムを逆調整池として活用する計画であった。だが小歩危ダム建設は名勝の大歩危小歩危を水没させる事から自然保護を巡り猛烈な反対運動を受け、計画は頓挫し小歩危ダム建設は1971年(昭和46年)に中止、早明浦ダム単独での発電に縮小となった。また調整機関として「四国地方総合開発審議会」が設立されたが、徳島県慣行水利権を盾に分水の新規配分に関して反対論を展開、調整が難航した。この間四国電力が審議会を離脱し独自のダム建設を進めた。

一方1960年(昭和35年)には「四国地方開発促進法」が施行され、1962年(昭和37年)には水資源開発促進法が成立して水資源開発公団[5]が発足したが、吉野川水系は1966年に水資源開発水系に指定され「吉野川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)が作成された。これに伴い香川用水・吉野川北岸用水・愛媛分水(銅山川分水)・高知分水計画が盛り込まれ、その水源として早明浦ダムが位置づけられた。ダムは1963年(昭和38年)より建設省四国地方建設局[6]が実施計画調査を行っていたが、1967年(昭和42年)4月に事業主体が公団に移管された。こうして四国最大のダム事業が着手されることになった。

[編集] 補償

早明浦ダムは経済安定本部が示した当初の案では高さ72.0メートル、総貯水容量1億4,700万トンと現在の規模の半分であり、下流に建設される予定であった小歩危ダムの方が大規模であった。しかし小歩危ダム計画の度重なる縮小、そして中止によって現在の規模へと拡大した。また当初一緒に建設される予定であった上流の桃ヶ谷ダムは1950年の段階で計画が中止された。ダムが建設されると奈良県池原ダム北山川)に次ぐ西日本最大級の人造湖が誕生することになるが、これにより本山町、土佐町及び大川村の2町1村で385・387世帯が水没の対象となった。この水没世帯数は当時としては大規模な部類であり、1960年(昭和35年)に建設省がダム計画の構想を発表すると同時に猛烈な建設反対運動が巻き起こった。

特に大川村の場合は村役場を始めとする村内の主要公共施設を含め、主要集落の大部分が水没する。加えてダムが完成した後の固定資産税[7]はダム所在地である本山町と土佐町に配分され、大川村には入らない。こうしたことからダム建設に全くメリットがない大川村は官民一体となった反対運動を繰り広げることとなった。これは現在までダム事業長期化の象徴とされる2つのダム、すなわち群馬県八ッ場ダム吾妻川)での吾妻郡長野原町熊本県川辺川ダム川辺川)での球磨郡五木村と全く同様のケースであった。

大川村には「ダム建設反対」の立看板が至るところに設置され、中切地区に立てられた「ダム建設絶対反対」の大看板を筆頭にその数は600箇所にも上ったとされている。さらに1968年(昭和43年)には大川村民大会が開かれ全村民が参加し全会一致で「ダム建設絶対阻止」を議決。大川村当局は新たに村役場庁舎を新設し、ダム事業への抵抗をあらわにした。現在では渇水時になると現れるこの庁舎はダム建設に反対する村役場当局が抗議意思の強さを示すものとして、ダム建設計画後にあえて想定水没地に建てたものである。この庁舎が建っている所は、ダム建設前には洪水になっても絶対に浸水しない高台であった。また、高知県側の犠牲が大きいにも拘わらず、高知県が得られる高知分水への利水率はわすが4%しかなく、地元民に対しての分水率はゼロであったため、このことも公団側と激しく対立する要因となった。後には、上野村における例のようにダムへの反対はまるで反体制派の所業のようにさえ言われるようになったが、実際には地域の実情に深く根ざしていたと共に、固定資産税問題に象徴されるダム建設に伴う補償の配分の歪みはこの当時から既に大きな問題を引き起こし、長期化2ダムの現状とも関連していくのである。

こうした激しい反対運動によって住民との補償交渉はダムの試験湛水中にまでもつれ、1963年の調査開始から10年余に及ぶ長期の交渉となった。最終的に補償総額125億5,000万円(当時の推定額。以下同じ)で妥結し、これとは別に電源開発による早明浦発電所建設補償費が2億9,200万円支払われた。しかしこれら主要集落が水没したことで大川村の過疎化はより加速する[8]ことになり、住民は四国四県の新たな水資源開発のために住み慣れた故郷を永久に失うという犠牲を払った。またダム建設に伴う漁業権喪失に対する吉野川流域の漁業協同組合[9]との補償交渉も難航し、ダム本体建設工事に伴う濁水補償に2,330万円、ダム放水による河川塩分濃度への影響に対する補償として2億9,500万円が補償費として支払われた。これら補償交渉の妥結は1973年(昭和48年)には概ね終了し、1975年に池田ダム・新宮ダム(銅山川)・香川用水と同時に完成した。総事業費は約332億4,000万円という巨費であった。

[編集] エピソード

ダム完成時、当時の高知県知事であった溝渕増巳に公団は記念碑の銘を揮毫(きごう)するように依頼した。この記念碑がダム右岸に建つ「四国のいのち」の碑であるが、当初は「四国はひとつ」と刻まれる予定であった。しかし溝渕は「水は一つになったが、他のことはまだ一つになっていない」として「四国のいのち」と銘を変更したというエピソードが残されている。この溝渕の言葉は、後年水不足でダムが枯渇した際に繰り広げられる四国四県同士の対立を図らずも暗示するようであった。またもう一つのエピソードとしてダム建設中の1973年に香川県高松市で深刻な水不足が発生し(高松砂漠)、水不足に対処するため香川選出の衆議院議員であった自由民主党大平正芳外務大臣(当時)と日本社会党成田知巳委員長(当時)が、水源である早明浦ダムが完成していないにもかかわらず香川用水への早期通水を当時の水資源開発公団総裁であった柴田達夫に要請するという一幕もあった[10]

[編集] 目的

放流中の早明浦ダム

早明浦ダムには洪水調節不特定利水上水道工業用水かんがいおよび水力発電の目的があり、多目的ダムの中でも用途が広い。ダムそばには管理所があるが吉野川水系のダム群を効率的に運用するため、徳島県三好市池田国土交通省吉野川ダム統合管理事務所および水資源機構池田総合管理所において、早明浦ダムを始め池田、柳瀬、新宮、富郷の五ダムを連携した運用が行われている。

[編集] 治水

治水目的では吉野川水系工事実施基本計画に基づき吉野川下流沿岸部の洪水調節を目的とし、阿波市岩津地点における計画高水流量(過去最大の洪水流量を基準とする)毎秒17,000トンを毎秒15,000トン(毎秒2,000トンのカット)に低減する。ダム地点でも毎秒2,000トンをカットし計画高水流量毎秒4,700トンの内毎秒2,700トンの洪水を貯留する。これは多目的ダムの中では大容量である。不特定利水については三好市池田地点を基準とし通年で毎秒15トン、農繁期には毎秒43トンを放流し慣行水利権分の農業用水を吉野川沿岸の農地に供給する。

[編集] 利水

利水目的では香川用水吉野川北岸用水愛媛分水高知分水を利用し四国四県へ供給する。かんがい用水は高知県を除く三県に対し平均で通年毎秒3トン、農繁期に毎秒11.96トンを供給。上水道・工業用水道は四国四県にそれぞれ一日量で440,000トン、1,420,000トンを供給する。

  1. 徳島県への利水配分率は48%と最も大きく、吉野川北岸用水の水源として利用されるほか、慣行水利権分の不特定利水補給が行われる。
  2. 香川県への利水配分率は29%で、池田ダムより取水した吉野川の水を香川県全域に送水している。特に上水道依存率は50%と高い。
  3. 愛媛県への利水配分率は19%。早明浦ダム完成によって徳島県への慣行水利権分の不特定利水が補給されることから、柳瀬ダム完成時に愛媛・徳島両県で合意していた柳瀬ダムの責任放流[11]が廃止され、間接的にではあるが川之江市伊予三島市[12]への利水が強化された。
  4. 高知県への利水配分率は4%と最も少ない。ダムの水は瀬戸川から地蔵寺川へ二つの取水を通じて四国山地を縦断し、鏡川に建設された高知県営ダムである鏡ダムに流路変更され、高知市の上水道に供給される[13]

早明浦ダムによる各新規用水の総合開発量は年間8億6,300万トン。とりわけ、香川県には大きな河川が無く、同県の水利用は、水道使用量の50%を占める香川用水へ依存している所が大きい。香川用水は、この早明浦ダムを中心として開発された新規用水であり、香川県の水利用において早明浦ダムの果たしている役割は非常に大きいといえる。しかし同時に早明浦ダムの渇水は、まず香川県の水事情に大きく影響する。また、ダムが高知県長岡郡本山町にあるため、渇水になると高知県内も生活用水に影響があるのではないかと思われがちだが、高知県側への利水配分は前述の通りわずか4%に過ぎず、状況によっては高知分水への放流を完全にカットすることもある。このことより高知県側は早明浦ダムの渇水による影響は少ないと言える。

[編集] 水力発電

早明浦発電所

水力発電は1952年より吉野川総合開発計画に参加していた電源開発による早明浦発電所があり、認可出力42,000キロワットは吉野川水系の一般水力発電所では出力が大きい発電所である。発電所はダムに先んじて1972年(昭和47年)2月に完成。その後ダムの建設進捗に合わせて徐々に出力を上げ、1974年(昭和49年)7月にフル出力による運転を行った。発電された電力は奈半利川に建設された魚梁瀬ダムなどの発電所群と同じく高知県香美市にある四国電力の新改開閉所を経由して愛媛県西条市伊予変電所に送られる。電力は四国電力に供給される。

また、早明浦ダムの直下流には、発電所から放流された水が下流に影響を及ぼさないように水量を調整する目的で建設された逆調整池として山崎ダムが建設された。高さは河川法が規定するダムの基準である15.0メートルを下回っているため、法律上ではに該当する。この他高知分水で、地蔵寺川取水堰と鏡川の間にある有効落差約236.0メートルを利用した水力発電を行うため、四国電力が天神発電所を鏡ダムの人造湖・土佐鏡湖上流端に建設した。分水の上水道供給に支障を来たさない範囲で最大1万1,800キロワットを発電する。なお、こうした経緯もあって高知分水は四国電力が水資源開発公団の委託を受けて施工を実施している。

[編集] 完成後も続く課題

大川橋より望む、満水時(上)と渇水時(下)のさめうら湖。中央部に旧大川村役場がある(2008年渇水時)。
大川橋より望む、満水時(上)と渇水時(下)のさめうら湖。中央部に旧大川村役場がある(2008年渇水時)。
旧大川村役場(2005年渇水時)。

早明浦ダム完成によって吉野川総合開発計画は大きな山場を越えたが、ダム完成以降も開発は継続して行われた。1978年(昭和53年)には支流の瀬戸川・地蔵寺川の取水口・導水路が完成して高知分水事業が完成。その後1990年(平成2年)には吉野川北岸用水が完成して伏流水が多い地域での安定した水供給が図られ、2000年(平成12年)には銅山川の富郷ダムが運用を開始して愛媛分水事業も完成し、1950年に立案された吉野川総合開発計画は半世紀の歳月を経て完了した。以後、四国四県の水がめとして、また吉野川の治水において早明浦ダムが果たしている役割は極めて大きく、四国における市民の日常生活・経済活動に不可欠な存在となっている。しかし、完成以後幾つかの問題も抱えている。

治水については完成直後の1975年8月17日台風5号に伴う豪雨で吉野川上流は総降水量が718ミリを記録、ダムには最大で毎秒7,200トンと計画流量を約3,000トン上回る洪水が流入し、結果として洪水調節機能が「異常出水」という形で直下流の早明浦発電所や川沿いの民家などに被害を与えた。このため減勢工の改良工事などを行うこととなりこれに関連する補償として29戸が移転した。さらに翌1976年(昭和51年)9月12日の台風17号でも計画を上回る毎秒4,800トンの洪水を記録。これに伴う放流で長期間吉野川が濁り、濁水問題として漁業関係者を中心に対策が要求された。これに対処するため公団はダム湖表層の上澄み水を放流する施設である表面取水設備を新たに設置して下流への濁水放流防止を図り、こうした後始末を経て1979年(昭和54年)にはダム関連の全事業を完了した。

そして近年大きな課題となっているのが水不足の頻発である。本来多雨地域に属する吉野川上流域であるが、地球温暖化との関連性が指摘されている異常気象の影響で、ダム上流部では雨量が少なくなることが多く、その結果四国地方では深刻な渇水が発生するようになった。特に1994年(平成6年)の平成6年渇水2005年(平成17年)の大渇水においてはダムの貯水量が大幅に低減、水没した旧大川村役場が姿を現しダム渇水のシンボルになってしまった。2005年の渇水ではダム貯水率が0%と完全に枯渇し、連日水不足がニュースや新聞のトップ項目に挙げられるなど全国的にも話題となった。この間国土交通省や徳島県・香川県といった流域自治体は四国電力に大橋・大森川・穴内川といった発電専用ダムからの緊急放流を要請し、これらのダムから緊急放流が行われた。早明浦ダムでも発電所を管理する電源開発に緊急放流を要請、放流が行われた。9月5日台風14号による降雨で利水容量に対する貯水率が1日にして100%以上に回復し事態は収拾されたが、利水分配を巡り香川県と徳島県が対立するなど(後述)、後に禍根を残した。

2008年(平成20年)にも渇水により貯水率が0%となり発電専用水の緊急放流が行われている。同年6月以降気象庁気象研究所は早明浦ダム上空で、国内としては40年ぶりとなる大規模な人工降雨実験を行った。雨雲に航空機からドライアイスおよび塩化ナトリウムの微粒子を散布するというもので、この結果、氷の結晶粒子の生長が観測されたという。塩害など環境への影響が懸念されることから大川村では実験反対の声があがり、大川村上空は実験からはずすこととなった。

[編集] 香川県と徳島県の対立

2005年6月29日、当時の横田耕治吉野川水系水利用連絡協議会会長が飯泉嘉門徳島県知事を訪ね、徳島県が持つ慣行水利権分の不特定利水を30%削減するように要請するも、徳島県側は過去の経緯を理由にこれを拒否した。水源である早明浦ダムの貯水量が30%を下回ったことで前日から取水量を50%カットする第三次取水制限に突入しており、7月11日頃には枯渇するという予測のもと、過去に実施例のない(1994年の渇水時に検討はされた)第四次取水制限も視野に入っていた最中のことである。この時「削減により1週間の延命ができる」、「香川県のためではなく、徳島県の利益になる」という会長の訴えに対し、飯泉は「ため池の水がまだ残っており、そちらを使うのが先決」、もしくは「それらを最大限利用してもなお不足するならば議論する」という趣旨の発言をした。なお、この1週間の延命という予測は削減した水を香川と折半するという仮定である。横田会長の案では「徳島が譲歩した水利権分を便乗した香川に使われる」つまり慣行水利権の侵害がセットになっていた。香川は代替水源(ため池)を温存しているのにもかかわらず、その香川の為に徳島だけが犠牲にならねばならない提案は県民の強い反発を招いた。[14]

江戸時代から「御国水」・「土佐水(阿呆水)」といった洪水に悩まされてきた吉野川下流に位置する徳島県から見れば、早明浦ダムは治水のためのダムなのに対して、水害の恐れのない香川県からみれば早明浦ダムは利水のためのダムという側面が強い。この両県の意識の差が意見の相違につながっている。香川の利水を主張するあまり吉野川の治水や環境を軽視することや、利水を強く主張する割にダム建設に関して貢献度が低かったこと、ダム建設後にため池を埋め立てダムの貯水に依存しすぎた経緯などが香川県民に対する徳島県民の反発要因となっている。しかし、ため池の水が生活用水に利用できるとは限らないにもかかわらず「香川県がため池を出し惜しみしている」という誤解もされており両県の相互理解の低さが対立を助長している。

[編集] 米軍機による爆撃訓練問題

1994年10月14日アメリカ海軍空母インディペンデンス (CV-62)所属の艦載機A-6イントルーダーが、オレンジルートと呼ばれる和歌山県南部から徳島南部を通り、四国山脈を越え、愛媛県に抜け岩国基地に帰還する時速約800キロで低空飛行訓練中にダム湖面に墜落。搭乗員2名は死亡した。朝鮮有事に備え、このダムを攻撃訓練の目標にしていたと言われている[15]。米軍の攻撃機は、数ヶ月に一度の頻度でオレンジルート上の発電所やダムなどに、急降下や超低空飛行、誘導爆弾の照準をつけるような機動をたびたび敢行している。しかしこの事故は一歩間違えればダム本体に激突した可能性もあり、最悪の場合ダム決壊などの重大事故をひきおこす可能性もあった。またダム湖に墜落したことで、四国の水がめが汚染された可能性もある。

[編集] さめうら湖

さめうら湖

早明浦ダムによって形成された人造湖であるさめうら湖は、日本の人造湖の中でも屈指の規模を誇る。総貯水容量3億1,600万トンは日本で第8位、ダム湖の面積である湛水(たんすい)面積750ヘクタールは日本で第13位であり、西日本のダムでは奈良県の池原ダム(池原貯水池)に次ぐ規模であり、四国では最大である。

さめうら湖は高知県北部の観光地として多くの観光客でにぎわう。春は湖畔をソメイヨシノが彩り、花見客が大勢訪れる。また毎年秋には「さめうらの郷 湖畔マラソン大会」が開催され、例年700人のランナーがダム堤体上をスタートして健脚を競う。さらにブラックバスの釣りスポットとしても知られ、四国地方のバス釣り大会の会場としても頻繁に利用されるほか、カヌーボート、さらに他のダム湖では利用が禁止されていることが多い水上バイクの利用も可能である。しかしさめうら湖については利用する際には地元のNPO法人などで組織される「早明浦ダム湖面利用者協議会」への登録が必要になる。登録には年間登録と一ヶ月登録があり、年間登録については一般男性が4,000円、一般女性・高校生およびダム所在地(本山町・土佐町・大川村)住民が2,000円、中学生と嶺北漁業協同組合員は無料となっている。また船舶を利用する際にも船舶登録が必要であり、1艇あたり1,000円が必要になるがこちらは無期限有効である。バス釣り大会などイベントを催す際には事前予約が必要である。このように登録制になっている背景には、さめうら湖が四国全域の水がめとして極めて重要な位置を占めているためであり、水資源保護の観点から行われている。

この他早明浦ダムはの夜間、ライトアップを実施している。春季は3月20日から4月15日までの間19:00から23:00までと、ゴールデンウィーク期間(4月28日から5月10日)までの19:00から22:00。夏季は7月20日から9月16日までの20:00から23:00。冬季はクリスマスから年末年始(12月22日から1月6日まで)の18:00から21:00の間に行われている。夜間にライトで浮かび上がるダムの光景を見ることができるが、特にダム直下流に架かる橋およびその下の吉野川の河原からは、ライトアップされたダム全景を眺めることができる。河原へは車で下りることも可能であり、昼間には冒頭写真のように眼前にそびえ立つ巨大なダムを目の当たりにできる。しかし当然ながら洪水時やダム放流中は水没してしまうので(洪水調節中のダム写真を参照)、その場合は橋の上からしか見ることはできない。

早明浦ダム・さめうら湖へのアクセスは車の場合高知自動車道大豊インターチェンジ下車後国道439号を西進、土佐町田井で右折して直進すると到着する。公共交通機関ではJR土讃線大杉駅が最寄の下車駅となる。この国道439号は大歩危小歩危祖谷渓方面と石鎚山松山市四万十川方面を結ぶ観光道路としても重要な役割を果たしているが、所々未整備区間が存在する「酷道」であり早期の改善が地元より望まれている。ただし早明浦ダム付近は整備されている。


[編集] 大渇水時の取水制限の履歴

平成17年9月3日のダム湖 貯水率0%
平成17年9月7日 ほぼ同一地点から撮影 貯水率100%
平成17年9月7日 放水中(中央2門は閉まりつつある)
平成17年
  • 6月15日 0時時点の貯水率 61.2% 9時から 第一次取水制限 カット率:徳島用水14.1%・香川用水20.0%
  • 6月22日 0時時点の貯水率 46.0% 9時から 第二次取水制限 カット率:徳島用水15.9%・香川用水35.0%
  • 6月28日 0時時点の貯水率 32.4% 0時から 第三次取水制限 カット率:徳島用水17.6%・香川用水50.0%
  • 7月 2日 0時時点の貯水率 22.8% 6時から 取水制限を一時解除
  • 7月 8日 0時時点の貯水率 36.8% 0時から 第三次取水制限 カット率:徳島用水19.0%・香川用水50.0%
  • 7月 9日 0時時点の貯水率 37.5% 15時から 取水制限を一時解除
  • 7月13日 0時時点の貯水率 51.2% 18時から 第二次取水制限 カット率:徳島用水17.2%・香川用水35.0%
  • 8月 1日 0時時点の貯水率 32.9% 9時から 第三次取水制限 カット率:徳島用水19.0%・香川用水50.0%
  • 8月11日 0時時点の貯水率 15.1% 9時から 第四次取水制限 カット率:徳島用水22.0%・徳島用水(新規)75.0%・香川用水75.0%
  • 8月18日 20時時点の貯水率 0.0% 20時から 発電専用容量による緊急放流  緊急放流量:徳島用水1.85m3/s(+自流量)・香川用水1.81m3/s
  • 8月21日 0時時点の貯水率 1.1% 11時から 一時的に取水制限を解除
  • 8月22日 0時時点の貯水率 4.9% 22時から 第四次取水制限 カット率:徳島用水22.4%・香川用水75.0%
  • 9月 1日 8時時点の貯水率 0.0% 8時から 発電専用容量による緊急放流 緊急放流量:徳島用水1.85m3/s(+自流量)・香川用水1.81m3/s
  • 9月 5日 9時時点の貯水率 0.0% 9時から 取水制限一次解除 カット率:徳島用水未利用分100%・香川用水0.0%
  • 9月 6日 9時時点の貯水率100.0% 18時から 取水制限全面解除
平成20年
  • 7月24日 16時 渇水対策本部設置
  • 7月25日 0時時点の貯水率 62.3% 9時から 第一次取水制限 カット率:徳島用水15.2%・香川用水20.0%
  • 8月 3日 0時時点の貯水率 45.6% 9時から 第二次取水制限 カット率:徳島用水17.0%・香川用水35.0%
  • 8月12日 0時時点の貯水率 30.8% 9時から 第三次取水制限 カット率:徳島用水18.8%・香川用水50.0%
  • 8月21日 0時時点の貯水率 16.0% 9時から 第四次取水制限 カット率:徳島用水21.6%・香川用水60.0%
  • 8月31日 10時時点の貯水率 0.0% 10時から 発電専用容量による緊急放流 緊急放流量:徳島用水1.95m3/s・香川用水1.90m3/s
  • 9月19日 15時時点の貯水率 0.0% 15時から 取水制限を一時解除(発電専用容量の緊急放流を停止)
  • 9月24日 0時時点の貯水率 7.2% 9時から 第四次取水制限 カット率:徳島用水27.8%・香川用水60.0%
  • 9月30日 16時時点の貯水率 11.7% 16時から 取水制限を一時解除
  • 10月 3日 0時時点の貯水率 15.0% 13時から 第四次取水制限再開 カット率:徳島用水28.9%・香川用水60.0%
  • 10月 5日 13時から 取水制限を一時解除
  • 10月21日 8時から 第二次取水制限再開 カット率:徳島用水20.2%・香川用水42.2%
  • 10月24日 8時から 取水制限を一時解除
  • 10月28日 13時から 第一次取水制限再開 カット率:徳島用水18.3%・香川用水20.0%
  • 11月25日 10時から 取水制限解除
平成21年
  • 6月3日 0時時点の貯水率 62.2% 9時から 第一次取水制限 カット率:徳島用水13.9%・香川用水20.0%
  • 6月14日 0時時点の貯水率 46.4% 9時から 第ニ次取水制限 カット率:徳島用水15.7%・香川用水35.0%
  • 6月22日 0時時点の貯水率 32.1% 9時から 第三次取水制限 カット率:徳島用水17.5%・香川用水50.0%
  • 6月30日 0時時点の貯水率 26.1% 10時から 取水制限を一時解除

[編集] 脚注

  1. ^ 現在の国土交通省
  2. ^ 後の農林水産省
  3. ^ その後規模と建設地点が変更され、1975年(昭和50年)に新宮ダムとして完成する。
  4. ^ 四国電力の審議会離脱に伴って多目的ダムから発電専用ダムに変更され、1962年(昭和37年)に穴内川ダムとして完成する。
  5. ^ 水資源機構の前身。
  6. ^ 現在の国土交通省四国地方整備局
  7. ^ 「ダム所在交付金」と呼ばれる。毎年支払われるこの交付金によって地方交付税交付金の不交付団体に指定された地方自治体も存在する。
  8. ^ 2008年現在、大川村は日本で最も人口の少ない地方自治体である。
  9. ^ 交渉組合数は延べ19組合、組合員数は延べ4,766人であった。
  10. ^ 結果的には満濃池の緊急使用などで通水するまでには至らなかった。
  11. ^ 銅山川分水(愛媛分水の前身)で愛媛県が銅山川の河水を取水することで減少する水量を補填するために、一定の流量を柳瀬ダムから放流して徳島県の持つ慣行水利権分の用水補給を維持させるための放流。
  12. ^ 平成の大合併により現在は四国中央市となる。
  13. ^ しかし高知市の上水道依存率は吉野川水系よりも仁淀川水系の方が大きく、仁淀川に建設された大渡ダム国土交通省直轄ダム)が主要な水源となっている。
  14. ^ 05渇水 どうなる「不特定用水」(四国新聞社HP)
  15. ^ 1994年7月8日に北朝鮮国家主席の金日成が死去している。

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

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