旧堺燈台

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旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)は、大阪府堺市堺区大浜北町5丁にある木製洋式灯台跡である。現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして、国の史跡に指定されている。

概要[編集]

旧堺燈台
(2007年7月22日撮影)
ライトアップされた旧堺燈台
(2007年8月12日撮影)

木製の六角形の灯台で、高さは11.3メートル。1877年(明治10年)に完成し、1968年(昭和43年)1月29日まで使用されていた。1972年7月12日に国の史跡に指定された。

2005年から保存解体修理を行い、2007年3月に修理工事が終了。

歴史[編集]

江戸時代の堺港の燈台の変遷については、当館所蔵の『堺市史史料』に収められている「堺港燈台起源沿革等取調上申書」(『堺市史』第6巻に「堺港燈台起源沿革書」として掲載)に記録が残されている。これによると、堺港の燈台は、1689年に(元禄2年)初めて市中の商人の寄金で建築されて以降、1877年(明治10年)の洋式燈台まで7期にわたって、位置を変えながら新設されていったとされている。堺港は、特に1704年(宝永元年)の大和川付替え以降、土砂の流入などにより修築を繰り返し、それにあわせて、燈台も規模を大きくしながら位置を変えていった。このことは同時に、堺の町の発展を表すものであるといえる。

明治時代初期、堺港の改修事業に伴い、新しい灯台設置の必要性が高まった。そこで堺の有力者らは自ら基金を出し合い、当時の堺県からの補助金も受けて灯台を建設した。灯台の建設にはイギリス人技師のほか、堺の大工や石工も深く関わっている。

1877年(明治10年)に堺港の大波止(南波止場)に灯台が完成し、同年9月15日から稼働した。当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで灯台の光が届いたとされている。

しかし時代が下り、1959年から始まった堺泉北臨海工業地帯の埋め立てにより、徐々に灯台の役目を果たせなくなった。そのため灯台は1968年に廃止され、90年の歴史に幕を閉じた。

備考[編集]

旧堺燈台は堺市のシンボルのひとつとされ、市内各所でモチーフとして使用されている。旧堺燈台をモチーフにした公衆電話ボックスや時計台、旧堺燈台をデザインしたマンホールなどが、堺市内にある。また1997年に開催されたなみはや国体を記念して、堺市内の和菓子製造業者らが共同で、旧堺燈台をかたどった「堺燈台もなか」を開発している。 また近年では海の日の前後の2日間で、市職員立会い(ガイド)の下で燈台内部の一般公開も行われている。

交通アクセス[編集]

南海本線 堺駅から西へ約1km、徒歩約15分。

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度35分0.55秒 東経135度27分32.39秒 / 北緯34.5834861度 東経135.4589972度 / 34.5834861; 135.4589972