日経

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日経(にっきょう、1560年4月3日(永禄3年2月28日) - 1620年12月15日(元和6年11月22日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての法華宗の僧。号は常楽院。上総国の出身。

長久寺檀林で法を学んだという。強引な折伏で他宗を改宗して名を轟かしていた。1599年(慶長4年)妙満寺27世を継いだ。大阪城で行われた対論(大阪対論)によって対馬に流された、妙覚寺日奥の赦免運動に努めた。1608年(慶長12年)尾張国熱田で行った浄土宗正覚寺沢道との宗論は、増上寺を経て徳川家康に上訴され、1608年(慶長13年)増上寺・廓山らと江戸城で宗論(慶長宗論)が行われる事となった。その結果、日経は敗れ[1][2]、1609年(慶長14年)耳と鼻を削がれ酷刑となった。1613年(慶長18年)加賀国金沢へ赴き、1615年(元和1年)越中国婦負郡外輪野村(現・富山市婦中町外輪野)に庵室を設けて布教を続け、同地で没した。大正年間に同所で墓所が整備された。

[編集] 脚注

  1. ^ 当代記の記述ではこの問答時に日経は発病と称して、問答には答えなかったと記している。
  2. ^ 慶長年録では前日に何者かに棒で殴打され、知覚を失った状態であるのに乗じて対問がなされたとある。
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