日産・バイオレット
バイオレット(VIOLET )は、日産自動車が生産していた小型乗用車。車名の「バイオレット」は英語で「スミレ」の意味である。
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概要 [編集]
1973年1月に発売された初代710型バイオレットは、下級車種のサニーと、上級車種の610型ブルーバードUの中間クラスを担う新規車種として発売されたが、実際は、ブルーバードシリーズの一車種として、510型ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けており、その背景には日産の商品企画や販売政策が影響している。
初代710型バイオレットが発売される前の1971年8月、ブルーバードは、先代の510型ブルーバードよりも車格クラス・価格ともに上級の車種として、「U」のサブネームを付けた610型ブルーバードUとしてフルモデルチェンジされて発売された。その背景には、ブルーバードのライバル車種であるトヨタ自動車のコロナの上級車種として発売されたコロナマークIIの存在や、高度経済成長に伴う物価上昇や所得倍増による経済情勢下であった時期に企画開発された事情があり、610型ブルーバードUが先代の510型ブルーバードよりも車格クラス・価格共に上昇したことにより、既納先の510型までのブルーバードユーザーから610型ブルーバードUへの代替を躊躇されて他メーカー・他車種への代替や客離れが懸念された日産サイドの商品企画や販売政策上、610型ブルーバードUの発売以降も、先代の510型ブルーバードは「幸せの1400」のCMキャッチコピーで、1,400ccと1,600ccの4ドアセダンと2ドアセダンの廉価グレードだけを残した上で継続生産・販売され、510型ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けていた初代710型バイオレットが発売される直前の1972年12月まで610型ブルーバードUとともに併売されていた。
なお、初代710型バイオレットは、ブルーバードシリーズの一車種としての役目も担う位置付けから、型式番号は歴代ブルーバードの型式番号である「310型」「410型」「510型」「610型」から連なる「710型」が与えられており、歴代のブルーバードに「710型」が存在していないのはそのためである。
歴史 [編集]
初代 710型系(1973年 - 1977年) [編集]
| 日産・バイオレット(初代) 710型系 |
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2ドアハードトップ(前期型)
1973年1月 - 1976年2月 |
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| 販売期間 | 1973年1月 - 1977年5月 |
| 乗車定員 | 5人 |
| ボディタイプ | 2/4ドアセダン 2ドアハードトップ ライトバン |
| エンジン | 1.8/1.6/1.4L 直列4気筒 |
| 変速機 | 3速AT / 4速MT / 5速MT |
| 駆動方式 | FR |
| サスペンション | 前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム / リーフリジッド |
| 全長 | 4,120mm |
| 全幅 | 1,580mm |
| 全高 | 1,375mm |
| ホイールベース | 2,450mm |
| 車両重量 | 1,005kg |
| ブレーキ | 前:ディスク 後:ドラム |
| データモデル | 2ドアHT 1600SSS-E 5速MT(前期型) |
| -自動車のスペック表- | |
1973年1月に新発売。ボディタイプは当初4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアハードトップの3種類。サスペンションは、前輪にはマクファーソンストラット式独立懸架が全車に採用され、後輪は、スポーツグレードのSSSにのみ510型ブルーバードと同様のセミトレーリングアーム式独立懸架が採用され、その他の車種はリーフ式車軸懸架が採用された。ラリーでは510型ブルーバード譲りのスポーツグレード・SSS(スリーエス)が活躍していた。510型ブルーバードが直線的でクリーンな外観だったのに対し、710型バイオレットは複雑な曲面で構成されたファストバックスタイルだったため販売は低迷し、後に4ドアセダンは、ノッチバックスタイルへ大幅なマイナーチェンジを行う。後に5ドアのライトバンが追加された。タクシー仕様車では、710型バイオレットの4ドアセダン(5人乗り・3速コラム・前席ベンチシート、L16型1,600ccLPG)が、510型ブルーバードのタクシー仕様車の実質的な後継車種として発売され(上級クラスへ移行した610型ブルーバードUにはタクシー仕様車が設定されていなかった)、後にエンジンは、昭和50・51年排ガス規制に絡んでL18型1,800ccLPGに変更されている。1976年7月に、810型ブルーバードにタクシー仕様車が設定された後も1977年4月頃まで生産・販売が継続されていた。
- 1973年1月 - 710型バイオレット登場。
- 1974年9月 - セダンのリヤコンビネーションランプ変更。
- 1976年2月 - マイナーチェンジ。タクシーユーザーから要望の多かった後方視界を向上するため4ドアセダンがノッチバックスタイルに変更、型式も711型になった。1,600ccが51年排ガス規制に適合。2ドアセダンは廃止。
- 5月 - 1,400ccが51年規制に適合
- 1977年4月 - 生産終了。A10型にバトンタッチ。
2代目 A10型系(1977年 - 1981年) [編集]
| 日産・バイオレット(2代目) A10型系 |
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ダットサン160J(前期型)
1977年5月 - 1979年6月 |
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| 販売期間 | 1977年5月 - 1981年6月 |
| デザイン | 山下敏男 |
| 乗車定員 | 5人 |
| ボディタイプ | 4ドアセダン 3ドアハッチバック ライトバン |
| エンジン | 1.8/1.6/1.4L 直列4気筒 |
| 変速機 | 3速AT / 4速/5速MT |
| 駆動方式 | FR |
| サスペンション | 前:マクファーソンストラット 後:4リンクリジッド |
| 全長 | 4,080mm |
| 全幅 | 1,600mm |
| 全高 | 1,390mm |
| ホイールベース | 2,400mm |
| 車両重量 | 925kg |
| ブレーキ | 前:ディスク 後:ドラム |
| データモデル | セダン1600GL-L 4速MT(前期型) |
| 別名 | 北米:ダットサン510 |
| -自動車のスペック表- | |
1977年5月20日、モデルチェンジでA10型が登場。ブルーバードから独立し独自の形式名が与えられた。デビュー時のボディタイプは4ドアセダンと、「オープンバック」と称するハッチバッククーペ、そしてライトバンの3種類。その後1980年には姉妹車のスタンザ・リゾートに準じた5ドアハッチバックを追加している。サスペンションは、前輪は先代モデルと同じマクファーソン式ストラットコイル、後輪は、全車種4リンクコイル式リジッド(ライトバンはリーフ式リジッド)であった。セダンは510型ブルーバードを意識したボクシーで機能的なスタイルに戻っている。2代目バイオレット登場と同時に、スポーティ志向で若者向けの「オースター」が、その3ヵ月後の8月には、ラグジュアリー志向で「ミニ・セドリック」的な性格の「スタンザ」がそれぞれ姉妹車として登場。さらに、モデルチェンジで下級クラスに回帰した910型ブルーバード登場後は、同じ販売店で競合することとなる。
- 1977年5月 - モデルチェンジでE-A10/PA10型が登場。
- 1978年5月 - 53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行。
- 9月 - スポーティ仕様の「1600GX/GX-EL」を追加。
- 1979年6月 - マイナーチェンジによりヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変更。
- 1981年6月 - FFのバイオレットリベルタへフルモデルチェンジ。
3代目 T11型系(1981年 - 1982年) [編集]
| 日産・バイオレットリベルタ(3代目) T11型系 |
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|---|---|
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スタンザ 4ドアセダン(北米仕様)
スタンザ 5ドアハッチバック(欧州仕様)
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| 販売期間 | 1981年6月 - 1982年6月(生産終了) |
| 乗車定員 | 5人 |
| ボディタイプ | 4ドアセダン 5ドアハッチバック |
| エンジン | 1.8/1.6L 直列4気筒 |
| 変速機 | 3速AT / 5速MT |
| 駆動方式 | FF |
| サスペンション | 前:マクファーソンストラット 後:ストラット |
| 全長 | 4,300mm |
| 全幅 | 1,665mm |
| 全高 | 1,385mm |
| ホイールベース | 2,470mm |
| 車両重量 | 935kg |
| ブレーキ | 前:ディスク 後:ドラム |
| データモデル | 5ドアハッチバックSX 5速MT |
| -自動車のスペック表- | |
チェリーとその後継車パルサーに次ぐ日産の前輪駆動車であり、新開発のCAエンジンを搭載し、日産の世界戦略車として位置づけられた。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックの2種類。ボディと一体化したウレタンバンパーが採用され、CD値は0.38(セダン)で、当時としては先進的なスタイルであったものの、カラードバンパー、サイドプロテクターは上級グレードのみの装備であった。なお、当時はFF(前輪駆動)方式が技術的に未熟であった事で、マニュアル車のギアレシオが高い事や、エンジンの振動が大きいなどの問題点があった。また、駆動方式と2,000ccのモデルの有無を除けば、日産店での主力車種のブルーバード(排気量は1,600cc、1,800cc、2,000cc)と同クラス・同排気量のバイオレットリベルタ(排気量は1,600cc、1,800cc)が競合したことも販売面で不利だった。
- 1981年6月 - バイオレットリベルタ発売。4ドアセダンと5ドアハッチバックのラインナップだった。先代モデルにあったオープンバックは消滅。
- 1982年6月 - バイオレットリベルタはわずか1年で生産終了する。その後継として、日産店の取扱車種として1クラス下のN12型パルサー(4ドアセダン)ベースのリベルタビラを新たに投入する。バイオレットリベルタの実質的な後継車であることを示す「リベルタ」の名前が使われている[1]。
モータースポーツ [編集]
初代 710型系 [編集]
- 1974年 - マレーシアの「スランゴール・グランプリ」にて「バイオレットターボ」が総合優勝を飾る。
- 1977年 - 第12回サザンクロスラリーに直列4気筒DOHC・16バルブの競技用エンジン、LZ18型を搭載する2ドアハードトップがラウノ・アルトーネンのドライブで参戦、総合優勝を飾る。この車両は現在、日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
2代目 A10型系 [編集]
A10/A11型は日産のWRC参戦の主力マシンとなり、1979年-1982年の「サファリラリーで4大会連続総合優勝」という快挙を成し遂げた(ちなみに、1979年と1980年は2バルブヘッドエンジン搭載のグループ2マシン、1981年と1982年は4バルブヘッドエンジン搭載のグループ4マシンでの参戦)。また、この4連覇は全て元FIA評議委員長でケニア在住の故・シェカー・メッタ(Shekhar Mehta) が日産ワークス時代にドライブしたもので、WRC史上初の「同一ドライバーで同一イベント4連覇」という記録を打ち立てている。国内ではスーパーシルエットレースに参戦するなど、強烈なスポーツイメージも兼ね備えていた。PA10型のサファリラリー歴代優勝マシンは現在、メッタのマールボロ・カラーマシンも含めて全てが日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。
- 1979年 - 第27回サファリラリーに参戦、総合優勝を飾る。富士スーパーシルエットレースに海外ラリー競技用エンジンLZ20B型にターボチャージャーを装着したLZ20B/T型エンジンを搭載した「バイオレットターボ」が参戦。ドライバーは柳田春人が務めた。
- 3月 - 富士300キロスピードレース 10位
- 5月 - 富士グラン250キロレース 7位
- 9月 - 富士インター200マイルレース 7位
- 10月 - 富士マスターズ250キロレース 優勝
- 1980年 - 5ドアハッチバック(1,600ccのみ)・女性仕様1,400ファンシーGL(ATのみ、セダン・オープンバック)追加。
- 第28回サファリラリーに参戦、総合優勝を飾る(2連覇目)。前年に引き続き、富士スーパーシルエットレースに「バイオレットターボ」が参戦、ドライバーは柳田春人が務めた。
- 3月 - 富士300kmスピードレース GTIIクラス 優勝
- 9月 - 富士インター200マイルレース GTIIクラス 優勝
- 10月 - 富士マスターズ250kmレース GTIIクラス 優勝
- 1981年 - 第29回サファリラリーに参戦、総合優勝を飾る(3連覇目)。
- 1982年 - 第30回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る(4連覇目)。この年は後継ラリーマシンとしてS110型シルビアベースの新型グループ4マシンが用意されていたが、信頼性などの問題を抱えていたため、サファリラリー4連覇目が掛かっていたシェカー・メッタはすでに生産終了していた前年型のPA10型グループ4マシンを選択した。これを快く思わなかった日産はワークス・バックアップを拒否。このためメッタはプライベーターとして参戦することになってしまった。参戦したメッタのマシンは前年までの日産トリコロールカラーではなく、白いボディにマールボロ・レッドがペイントされていた。結果としてS110型シルビアベースの新型マシンは信頼性不足によるマシントラブルによって徐々に遅れ、最高位は3位。対するメッタのバイオレットは総合優勝し、見事4連覇を達成した。勝負を優先したメッタはラリー史に名を残したが、この一件以降日産とのワークス契約がかわされることはなかった。
- 2010年11月03日 - 神奈川県厚木市にある日産テクニカルセンターの公開日に、1982年のサファリ総合優勝マシンが、マールボロレッドのカラーリングで完全レストアされ、特別展示された。
レストアメンバーの解説によると、レストア作業中資料を見返すうちに、前年2位入賞のマシンとシャシナンバーが同一であることが判明。カラーリングの復元にあたり、マールボロ側に許可を取り、ペイント、ステッカー張りが行われたとの事である。
脚注 [編集]
- ^ 『GEIBUN MOOKS No.419 70年代の名車たち PART2』(芸文社、2003年11月10日発行、ISBN 4-87465-674-9)のp.38-p.41でA10バイオレット(2代目)が紹介されているが、この記事の中のバイオレットに関する解説文でも「後にバイオレットリベルタに、さらにリベルタビラとなってバイオレットは消滅した」との一文があり、バイオレットリベルタの生産終了とリベルタビラの登場が同時だったこともあって一般的には「バイオレットリベルタがフルモデルチェンジされて1クラス下のリベルタビラとなった」とされている。