日本地図

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日本地図(領有権主張)
行基図(『拾芥抄』写本。明暦2年(1656年村上勘兵衛刊行。2枚の画像を合成)
左上に「大日本国図は行基菩薩の図する所也」より始まる説明が記されている。
大日本沿海輿地全図大図 (レプリカ)。琵琶湖周辺。

日本地図(にほんちず)とは、日本国領域あるいはそれを構成する主たる要素である日本列島とその周辺地域を描いた地図のことである。

現在の日本の地図は、国土地理院が定期的に日本全土を測量し発行する「国土地理院発行地形図」が基本となっている。

歴史[編集]

平安時代初期の弘仁5年6月23日付官符に引用されている「天平10年5月28日格」に「国図」の語が見えており、『続日本紀』の天平10年8月の記事に「天下の諸国をして国郡図を造進させる」と見えているので、この頃には全国の図が存在していたことは間違いない。また『日本後紀』延暦15年8月の記事には諸国の地図を更新させたとある。それらの地図を統合した全国図が存在したかどうかはまったくわからない。

実態が確認できる日本最初の全国地図は「行基図」であるが、位置関係は把握できるものの正確さには欠けている。令制国として各国の情報は中央政府に集められていたはずであり、鎌倉幕府においても守護・地頭の派遣や領地に関する訴訟が行われており、以後、戦国時代まで、各国の情報を記した地図の存在は想像できるが、統一的な全国地図の制作は江戸時代まで行われなかった。

江戸時代には公的な地理把握・領主支配を用途とした幕府選の国絵図など国家事業として地図製作が行われているが、日本全土を対象とした日本地図は国絵図の内容を整理する形で行われていた。安永8年(1779年)に日本で初めて経緯度線が入った地図『改正日本輿地路程全図』(通称『赤水図』)が長久保赤水により刊行された。 測量に基づくものではないが、蝦夷地(北海道)を除く日本全土が示されており、経緯度線も含まれていて見やすく、明治初期まで日本地図として広く一般に使われた(伊能忠敬の地図は国家機密とされており、一般には出回っていない)。

1800年頃から伊能忠敬らにより、はじめて測量技術に基づいた正確な日本地図「大日本沿海輿地全図」が作られた(ただし、それ以前に琉球王国では測量に基づく正確な地図が作られている)。

明治維新ののち、行政官から府県・諸侯に対し管轄地図を調製させる旨の沙汰[1]が下った。その後、1869年民部官に庶務司戸籍地図掛を設置、1871年工部省に測量司、兵部省に陸軍参謀局間諜隊を設置、近代地図の作成が開始された。1884年地図の作成は参謀本部測量局に統合され、1888年参謀本部陸地測量部に改称。1925年に全国の五万分一地形図を完成させる。これらの組織はすべて国土地理院の前身である。

その他[編集]

測量には三角点水準点が使われる。

座標系(測地系)が2002年4月に「日本測地系」からGPSなどで使われる「世界測地系」に変わっているため、その前後の緯度経度は座標変換が必要である。

画像[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]