日本国憲法第82条
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日本国憲法 第82条は、第6章にあり、裁判の公開について規定している。
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[編集] 条文
第八十二条[1] 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
- 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
[編集] 沿革
参考文献情報
- 1889年(明治22年)2月11日公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された憲法。1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行されたことにより失効。
- 憲法改正要綱[1]
- 1946年(昭和21年)2月8日、松本烝治国務大臣・憲法問題調査委員会委員長が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に対して、憲法改正案として提出・説明した文書。松本国務大臣が、そのときまでの委員会審議等を踏まえて作成した「憲法改正私案(一月四日稿) 」を要綱化した文書で、「松本試案」とも呼ばれる。閣議で議論にかけられ、天皇に奏上したものの、閣議等での正式な決定を経た文書ではない。
- マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)[2]
- 1946年(昭和21年)2月3日、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が、GHQ内部の憲法改正草案作成にあたって必ず盛り込むよう指示した三項目の要件。草案作成の担当を命じられたコートニー・ホイットニー民政局長に対して示された。第一に天皇の地位、第二に戦争の放棄、第三に貴族制度(華族制度)に関して簡潔に述べている。
- 1946年(昭和21年)2月13日、GHQから日本政府に対して、憲法改正草案として提示された文書。GHQ民政局が作成した原案に対して、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が指示した修正を行ったものである。先に提出した「憲法改正要綱」に対する回答を聴取するため来訪した吉田茂外務大臣と松本烝治国務大臣に、コートニー・ホイットニー民政局長が手交した。日本政府は、同月22日の閣議においてGHQ草案の事実上の受け入れを決定し、同月26日の閣議においてGHQ草案に沿った新しい憲法草案を起草することを決定した。なお、GHQ草案全文の仮訳が閣僚に配布されたのは、同月25日の臨時閣議の席であった。
- 憲法改正草案要綱[4]
- 1946年(昭和21年)3月6日、内閣から国民に対して、憲法改正草案として発表された文書。内閣でGHQ草案の受け入れを決定した後、松本烝治国務大臣は、佐藤達夫内閣法制局第一部長、入江俊郎内閣法制局次長とともに、憲法改正案(「3月2日案」)を起草した。「3月2日案」をもとに、GHQとの折衝を経て成立した原案が、憲法改正草案として閣議決定され(「3月5日案」)、これを入江俊郎内閣法制局次長が中心となって、要綱の形にまとめたのが「憲法改正草案要綱」である。
- 憲法改正草案[5]
- 1946年(昭和21年)4月17日、内閣から国民に対して発表された文書。GHQの了承、閣議の了解を得た上で、元の「憲法改正草案」をひらがな口語体の文章にしたものである。同日、昭和天皇は、同案を内閣からの憲法改正案として枢密院に諮詢した。その後、幣原内閣から第1次吉田内閣へ交替したため一旦枢密院への諮詢が撤回され、字句を修正した上で、同年5月27日に再諮詢された[6]。同年6月8日、「憲法改正草案」は、枢密院本会議において美濃部達吉顧問官を除く賛成多数で可決された。
- 帝国憲法改正案[7]
- 1946年(昭和21年)6月20日、第90回帝国議会の開院式当日(召集日は同年5月16日)に、大日本帝国憲法第73条の憲法改正手続により、勅書をもって議会に提出された憲法改正案。同年6月25日に衆議院本会議に上程され、6月28日に芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会に付託。委員会審議を経て、同年8月24日、衆議院本会議において賛成421票、反対8票という圧倒的多数で可決され、同日貴族院に送られた。同年8月26日に貴族院本会議に上程され、8月30日に安倍能成を委員長とする帝国憲法改正案特別委員会に付託。委員会審議を経て、同年10月6日、貴族院本会議において賛成多数で可決された。同日、貴族院での修正が加えられた改正案は衆議院に回付され、翌7日、衆議院本会議において圧倒的多数で可決。その後「帝国憲法改正案」は、同年10月12日に枢密院に再諮詢され、2回の審査の後、同年10月29日に2名の欠席者を除き全会一致で可決。「帝国憲法改正案」は、昭和天皇の裁可を経て、同年11月3日に「日本国憲法」として公布された。
- 1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日に施行された憲法。
- 大日本帝国憲法
- 第五十九條
- 裁判ノ對審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ對審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得
- 憲法改正要綱[2]
- なし
- GHQ草案[3]
- (日本語)
- 第七十五条 裁判ハ公開廷ニ於テ行ヒ判決ハ公然言ヒ渡スヘシ然レトモ裁判所カ公開ヲ公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ害有リト全員一致ヲ以テ決スルトキハ非公開ニテ裁判ヲ行フコトヲ得但シ政治的犯罪、定期刊行物ノ犯罪及此ノ憲法第三章ノ確保スル人民ノ権利カ問題ト為レル場合ニ於ケル裁判ハ例外ナク公開セラルヘシ
- (英語)
- Article LXXV. Trials shall be conducted and judgment declared publicly. Where, however, a court unanimously determines publicity to be dangerous to public order or morals, a trial may be conducted privately, but trials of political offenses, offenses of the press, and cases wherein the rights of citizens as reserved in Chapter III of this Constitution are in question, shall be conducted publicly without exception.
- 憲法改正草案要綱[4]
- 第七十八 裁判ノ対審及判決ハ公開法廷ニ於テ之ヲ行フベキコト但シ裁判所ガ全員一致ヲ以テ公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ヲ害スルノ虞アリト決シタル場合ニ於テハ対審ハ公開セズシテ之ヲ行フコトヲ得ルコト政治ニ関スル犯罪、出版物ニ関スル犯罪及此ノ憲法第三ノ保障スル国民ノ権利ニ係ル事件ノ対審ハ常ニ之ヲ公開スルコトヲ要スルコト
- 憲法改正草案[5]
- 第七十八条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
- 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治に関する犯罪、出版物に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
- 帝国憲法改正案[6]
- 第七十八条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
- 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
- 日本国憲法
- 第八十二条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
- 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
[編集] 解説
2項但書で公開停止の例外を挙げているが、この場合では対審についてのみ非公開で判決は常に公開されなければならない。
[編集] 判例
- 強制調停違憲決定 (最高裁判所大法廷決定 昭和35年07月06日)
- 戦時民事特別法、金銭債務臨時調停法に従い、純然たる訴訟事件についてなされた調停に代わる裁判は、憲法第82条、第32条に照らし違憲である。
- 夫婦同居審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告(最高裁判例 昭和40年06月30日)憲法32条、民法752条
- 過料決定に対する抗告棄却の決定に対する特別抗告(最高裁判例 昭和41年12月27日)憲法31条,憲法32条
- レペタ法廷メモ訴訟(最高裁判例 平成1年03月08日)
- 西村判事補戒告事件(最高裁判例 平成10年12月01日)憲法21条1項
- 裁判官が積極的に政治運動をしたとされた事例
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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