日本人留学生射殺事件

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日本人留学生射殺事件(にほんじんりゅうがくせいしゃさつじけん)とは、1992年アメリカ合衆国で日本人留学生が射殺された事件である。

目次

[編集] 事件の概略

1992年10月17日ルイジアナ州バトンルージュに留学していた日本人の高校生、服部剛丈(はっとり よしひろ、当時16歳)が、ハロウィンに留学先の友人と出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため、家人ロドニー・ピアース(当時30歳)から侵入者と判断されて.44マグナムを使用する銃(おそらく回転式拳銃)を突きつけられ、「フリーズ(「止まれ」の意)」と警告された。しかしながら服部は止まらずに男性の方に進んだため射殺された。[要出典]

[編集] その後の経緯

ピアースは、日本の刑法では傷害致死罪に相当する計画性のない殺人罪で起訴されたが、同州の東バトンルージュ郡地方裁判所陪審員は12名(白人10名、黒人2名)全員一致で無罪の評決を下した。評決の理由として、発砲現場の玄関先は屋内と同じであり、犯罪から身を守るために銃を持って立つことは正当な権利である、というものであった。なおルイジアナ州の法律では、屋内への侵入者については発砲が容認されている。

日本での報道はこの時点でアメリカの銃社会に対する不信感を表明しただけで終わったが、この後行われた、遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、刑事裁判とは正反対の結果となった。ピアースが家に何丁も銃を持つガンマニアであり、しばしば近所の野良犬や自宅敷地内に入ってきた犬猫を射殺しており、当日は酒に酔っていて、妻の制止を振り払って家から飛び出し発砲したことなどが実証されたため、正当防衛であると認められないとして65万3000ドル(およそ7000万円)を支払うよう命令する判決が出され、同州最高裁も上訴を棄却したため確定した。[要出典]

[編集] 事件の背景

この一方、上述のように米国には個人単位で銃を所有し、自らや家族を防衛すると言う考え方が伝統的に存在し、権利の章典として法的にも認められ社会もこれを容認する文化がある。このような社会においては、例え過失であっても他人の敷地に侵入することの危険性、射撃の警告を受けた場合の対処の仕方(例えば警官に職務質問等において警告を受けた場合、絶対身体を動かしてはならない、もし動かす場合は事前に言語で表現し、相手の承諾を取り付ける)等のアドバイスがアメリカの文化に精通していない外国人に対しては入国に際して十分になされる必要があるという問題もある。

また、銃を持つ権利という固有の文化に対し、外国から容喙を受けることに対する心情的な反発にも配慮する必要がある。すなわちこれが高じれば逆に被批判者より(自国の文化の優位性を信じ他国のそれを劣ったものと見なす)エスノセントリズムに立った文化批判と受け取られかねなく、逆に反発を招く危険性も考えられ、微妙な対応が求められる。

[編集] そのほか

  • ロドニー・ピアーズは賠償金65万3000ドルのうち保険金からの10万0000ドル以外は支払っていない(2008年11月19日現在)。[要出典]
  • 遺族が、悲劇を繰り返さないために日米間の文化の違いを乗り越え相互理解してもらうことを目的にアメリカの高校生を日本に毎年1人ずつ招く「YOSHI基金」を1993年6月に設立し翌年から毎年実行している。
  • アメリカ在住の中国人の女性映画監督クリスティン・チョイが『世界に轟いた銃声(原題:The Shot Heard Around the World)』というドキュメンタリー映画を製作した。この映画では民事訴訟におけるピアースの様子のほか、殺害された服部の母親も出演している。そこで彼女は息子を射殺した男性もまたアメリカの銃社会の被害者かもしれないと発言している。
  • 歌手の松任谷由実は事件後の1993年当時、自身がパーソナリティを務めていたニッポン放送のラジオ番組、「松任谷由実のオールナイトニッポン」の中でリスナーから届いた仮装した写真を見て「なんかこの格好"フリーズ"て言って撃たれそう」と発言し、直後に不謹慎であったとして謝罪した。番組終了後も改めてニッポン放送のアナウンサーが真夜中に遺族に対しての謝罪放送を行った。

[編集] 関連書籍

[編集] 関連項目

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