日本ピアノ調律師協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本ピアノ調律師協会
団体種類 一般社団法人
設立 1973年11月5日
所在地 東京都千代田区外神田2-18-21 楽器会館5F
法人番号 5010005004404 ウィキデータを編集
起源 全国ピアノ技術者協会
主要人物 会長 吉川満之
会員数 約2000人(2023年現在)
ウェブサイト http://www.jpta.org/
テンプレートを表示

一般社団法人日本ピアノ調律師協会(にほんぴあのちょうりつしきょうかい、英: Japan Piano Technicians Association, JPTA)は、ピアノ調律師 (pianotuner) またはピアノ技術者 (piano technician) によって構成される。略称は日ピニッピ)。

概要[編集]

前身である全国ピアノ技術者協会が名称を変更して1973年に法人化された。主な事業として講演会、コンサート等の開催、ピアノ調律の技術に関する研修・資格貸与・研究・国際交流、会報及び出版物の刊行など行っている。2015年時点で、全国11支部、正会員約2500人が登録されている。

所在地[編集]

沿革[編集]

  • 1917年(大正06年)、福島琢郎氏がチューナーズ・ギルドの結成を提唱。
  • 1925年(大正14年)、関西を中心に「関西ピアノ技術者協会」が結成。
  • 1930年(昭和05年)、関東を中心に「ピアノ技術者協会」が結成。
  • 1931年(昭和06年)、東西の協会が合流し前身である「全国ピアノ技術者協会」が結成される。
  • 1934年(昭和09年)、第1回総会を関東で開催される。
  • 1940年(昭和15年)、関東・関西の2本部制になる。
  • 1948年(昭和23年)、初めて入会のための技術審査が施行される。
  • 1966年(昭和41年)、全国10支部制になり、本部が1本化される。
  • 1973年(昭和48年)、名称が「日本ピアノ調律師協会」になり文部省文化庁所管の社団法人となる。
  • 1979年(昭和54年)、日米のピアノ技術者組織が中心となり「国際ピアノ製造技師調律師協会(IAPBT)」が発足。
  • 1983年(昭和58年)、第3回IAPBT総会を東京都で開催。
  • 1989年(平成元年)、第6回IAPBT総会を京都市で開催。
  • 1994年(平成06年)、「4月4日ピアノ調律の日」の事業が実施される。
  • 1999年(平成11年)、第11回IAPBT総会(ピアノとその仲間たちの世界大会)を浜松市で開催。
  • 2001年(平成13年)、「楽器フェア」に「メーソン教授のピアノ」を修復展示。
  • 2003年(平成15年)、「楽器フェア」に調律をテーマに出展。
  • 2011年(平成23年)、第1回ピアノ調律技能検定が実施される。[1]
  • 2012年(平成24年)12月、公益法人制度改革により一般社団法人へ移行。
  • 2019年(令和元年)5月、第21回IAPBT浜松大会「Piano Piano Piano」を開催。

入会審査[編集]

1948年以降入会のための技術審査が協会により実施されていた。受験資格として、実務経験5年以上(2003年度以降は3年[2])で協会員の推薦が必要であった。技能審査の科目は1.調律、2.UP整調、3.GP整調、4.修理作業、5筆記試験、6.面接の計6科目。合格ラインはすべての科目において70点以上であった。技能検定制度にピアノ調律が導入されたことにより2010年度を最後に協会が実施してきた技術審査は廃止され、2011年以後は国家検定 ピアノ調律技能検定に合格し(1級・2級・3級いずれも可)、協会の面接を受け合格した者が入会し、会員となることが出来る。

歴代会長[編集]

以下は1973年に法人化されて以降の歴代会長である。[3]

  1. 田中信男 
  2. 多米浩
  3. 宇都宮誠一
  4. 町田幸重
  5. 尾島徳一
  6. 桜井幹雄
  7. 荻尾一行
  8. 宇都宮謙三
  9. 多米實
  10. 稲村晴光
  11. 齊田健

脚注[編集]

  1. ^ 厚生労働省令第百十一号「職業能力開発促進法の指定機関の指定に関する省令の一部を改正する省令政令」
  2. ^ JPTA会報No.119(社団法人日本ピアノ調律師協会発行)15頁 審査局 2.理事会決定事項
  3. ^ 会報No.103(社団法人日本ピアノ調律師協会発行)106頁 歴代会長

関連項目[編集]

外部リンク[編集]