日本のワイン

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日本のワイン(にっぽんのわいん)では、日本で生産されるワインについて述べる。

歴史[編集]

先史~中世[編集]

日本列島では、縄文時代中期には酒造具である可能性が考えられている有孔鍔付土器が存在する。有孔鍔付土器は酒造具であるとする説と打楽器であるとする説があり決着をみていないが、ブドウ果汁を発酵させた飲料(液果酒)がつくられ飲用に供されていたとも言われる[1]

後法興院記』によると、1483年(文明15年)に、関白近衛家の人がワインを飲んだという記述があり、おそらくこれが最古の記録である。貝原益軒も『大和本草』の中で、ワインを外国からの輸入酒として記載している。その一方で日本で「葡萄酒」を作ったという文献もみられるが、この葡萄酒はワインの事ではなく、ブドウの果実を焼酎に漬込んだり、あるいはブドウ果汁を日本酒などとブレンドした、果実酒リキュールの類のものであった。

近代[編集]

赤玉スイートワイン1922年(大正11年)発表のポスター

この国で本格的にワイン生産が行われるようになったのは、文明開化を受けて洋風文化を積極的に摂取するようになった明治時代以降であり、明治初年の頃山梨県において山田宥教詫間憲久、二人の共同出資によってワインの醸造を行ったのが、近代的なワイン醸造における元祖とされている[2]。その後、ぶどう農家が集中していた勝沼村(現甲州市)で1877年(明治10年)年に「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されるが、初期の会社にはしっかりとしたワイン醸造のための基礎がなく、当時最先端の醸造技術を習得するために同村出身の高野正誠土屋助次郎(龍憲)とをフランスに派遣、帰朝ののち醸造量を150石として、海外製品より安かったことも歓迎されその全てを売りつくした[2](後年、高野と土屋はその功績を称えられ2人の洋服姿の写真を図案化したマークが勝沼の街のシンボルとして各所に使われている)。

また、日本のワイン史の黎明期において、新潟県の川上善兵衛や愛知県出身の神谷伝兵衛らの醸造家の努力や業績については特筆されるものがある(当該項目参照)。

当初はアメリカ系のブドウ種(主にデラウェアアジロンダック)の栽培が中心であったが、その後国策によって味わいにおいてより優れたフランス系の品種に変更された。しかし、欧州系の樹種に寄生したフィロキセラ(Phylloxera:ブドウネアブラムシ・ブドウの項参照)による荒廃により壊滅を余儀なくされ(1885年(明治18年))、日本でのワイン醸造の歴史は一旦は頓挫する。(当時、唯一アメリカ種に拠っていた山梨ではこの禍から逃れることができ、今日の隆盛の礎となったとされる)

昭和以前には、免許、税法などの整備はなく、ぶどうが穫れるところでは各家で各々のやり方で醸造されており、その過程で黒ぶどうで作られたものは「赤酒」などと俗称されていた。1939年(昭和14年)3月に物品税が、1940年(昭和15年)3月29日に酒税法(果実酒に関する施行規則)が公布されるにつれ、届出・認可のない自家醸造は「闇酒(密造酒)」とされ廃れていった[2]

以降、国産ワインの需要も少なく各地で細々とつくられているだけであったが、第二次世界大戦中にワイン製造の際の副次品である酒石酸から生成されるロッシェル塩結晶が兵器(音波探知)の部品になるとして、国内でぶどう酒醸造が奨励され、大増産された経緯もある。ところがこれはあくまでも軍事兵站上の需要であり、飲用を主目的としたものではなかった。のち戦後の農業革新の過程で、戦前~戦時の遺産(畑地や醸造技術など)を生かして、生産に適した地域ではある程度の規模をもったワイン醸造が民生用として再開された。しかし国内で生産されるワインには輸入果汁やバルクワインの混入も多く、まだまだ発展途上といわれ評価は低かった。

いっぽう日本人の嗜好としては、当初はワインの酸味や渋味が全く受け入れられず、長らく蜂蜜など糖分を加えてこれらを緩和させた甘口ワインが主流であった。当時の消費者が「ワイン」として認識していたものは、甘味が付加されたサントリーの「赤玉ポートワイン」や「ハチブドー酒(下記:薬品としての「ブドウ酒」参照)」のような種類のものである。この傾向は1970年代頃まで続き、本来のワインはむしろ「葡萄酒」と呼ばれ、趣味性も高く、一部の愛好家の嗜好においてはヨーロッパからの輸入ワインに頼っていた。

現代[編集]

マスカット・ベーリーA種のワイン

その後、東京オリンピック1964年(昭和39年))や大阪万博1970年(昭和45年))などの国際交流や大手メーカーのPRを通じて、本格的なワインに対する一般の認知度も高まり、ブドウを果物として生食することとは別に、飲用として摂取することも広まってきた。これを受けてワイナリーと称する専業生産者も本腰をいれるようになり、欧州本場に倣った垣根式の栽培法を取り入れ、害虫に強いヨーロッパ系新種のワイン用に特化したブドウ栽培を展開し始めた。いくつかのワイナリーからは純国内栽培による優秀なワインも生産されて、海外の品評会での受賞も見るようになり、国際的に評価されるようにもなってきた。また、日本独特の消費者感覚から無添加・無農薬ワインも生産されるようにもなった。

洋酒に関する輸入関税の緩和や、日本の食文化の多様化、ポリフェノール効果によるブームなども手伝って、近年ようやく本格的なワインが理解されるようになり、国内での品質の高いワイン生産を促進させる下地となった。2002年からは、山梨県が主導して「国産のぶどうを100パーセント使用して造った日本産ワイン」を対象とするコンペティションも行われるようになり、ヴィニョロン(Vigneron)と呼ばれる個人醸造家による出品から大手メーカーの力作まで、純国産ワインの品質向上を競うようになっている。

また近年では栽培技術の面で、例えばイスラム地方での禁酒習慣によるブドウ原種(マスカット・オブ・アレキサンドリア)の衰退に着目し、その保持育成に傾注するなど、国際的な協力にも積極的に参加している。

特徴[編集]

日本産ワインはヨーロッパ産ワインに比べて含有する有機酸塩が少ない。これは大陸内陸部でブドウの生産から発酵までを行うヨーロッパと、比較的内陸部であっても海からの影響を少なからず受ける日本との、地理的条件の差異によるものと考えられている。

この特徴から大陸産ワインに比べて魚介類との相性がよいとされている。また、大陸産ワインがいわゆるガーヴと呼ばれる地下式の保管庫による自然冷却的な温度が適度に飲みやすいのに対して、冷蔵庫で強めに冷やした状態が飲みやすいとされる。

主な生産地[編集]

日本における主な生産地としては北海道や山梨県があげられる。また、かつて明治維新殖産興業の一環として全国の適正地での醸造用ブドウの栽培が奨励されたが、1885年のフィロキセラ禍によって全滅という歴史的経緯があり、それまで愛知県が植栽本数において日本一の座を誇り多くのワインが生産されていたが、今日ではほとんど作られていない。


北海道では、池田町において破綻状態の町の財政状況から回復すべく、町おこしとしてブドウ生産とワイン醸造が行われ、1960年代から20年の歳月をかけてこれに成功。その後、全国の「一村一品運動」などに影響を与え、各地での生産を育む要因となっている。おたるワインを生産する北海道ワイン(株)は、現在国産ブドウの使用量で全国1位を誇る。また、空知地区は前述の北海道ワインの自社農園があり、これまでも北海道産ワインを影で支えてきたが、2000年代から南部の岩見沢市三笠市・旧栗沢町などで新規参入が相次ぎ、表舞台へと姿を現すようになった。新規参入したワイナリー・ヴィンヤードはどれも小規模だが軒数では北海道内の約3割を占めており、自治体や酒造メーカー主導の大規模生産を行う池田・富良野・小樽とは対照的な産地といえる。
秋田県ではプラムやぶどう等の県内栽培の果実原料を用いてワインが作られている(十和田ワインと大森ワインは葡萄で、天鷺ワインはプラム)。十和田ワインと天鷺ワインは県内に醸造所をもち、大森ワインはメルシャンに委託して製造、販売している。近年、鹿角市に新設された「このはなワイナリー」では、県内の山ぶどう系品種を原料にワインを製造、販売している。
上越地域におけるワイン醸造は「日本のワイン葡萄の父」とも称せられる川上善兵衛の偉業を引き継ぐ明治以来の国産ワインの伝統を誇る。
神谷伝兵衛が開墾したワイン発祥の地として知られるが、現在はブドウの生産を行っておらず、輸入濃縮果汁、ワイン、国内産ブドウを使用しワインを製造している。
太平洋戦争中、山梨県が酒石酸の集積地になった経緯もあり、甲府盆地内の果実栽培に適した土壌を受けて、現在では日本有数の生産地のひとつである。国産ワインのほぼ1/4を出荷する。→甲州 (葡萄)参照
兵庫県では、神戸市が率先し、都市部での農業生産と観光事業をからませて独自のワイナリーを立ち上げ、市のブランド品としての商品開発をおこなっている。

主な「ワイナリーを持つ大企業」[編集]

メルシャン ・サントリー ・サッポロ ・アサヒ  (順序不同)

これらの大手メーカーは海外の生産者によるワインの輸入販売、輸入濃縮果汁や輸入バルクワインを使用したワイン、自社ワイナリーで生産したワインの生産、販売を行っている。過去には輸入貴腐ワインにおいてジエチレングリコール混入事件などもあったが、大手メーカの強みとして「およその水準を保った製品を、比較的安価にかつ大量に市場に提供する」ことが可能であり、確実に日本のワイン消費市場の柱の一本となっている。 ここであえて特筆すべきはこれら大手メーカーとは別に、比較的中規模から、家族経営のもの、原料の葡萄は農家や海外より全て買い入れて醸造だけを行うものまで、日本国内には数多くのワイン醸造業者があり、それぞれがそれぞれの経営・生産方針に則り、小規模ながらも多くの銘柄を産出しているということである。どちらが上、どちらが正しいというわけではなく、それぞれが各々の得意をもって、自ら柱となり道となり、日本のワイン業界を盛り立てているのである。

薬品としての「ブドウ酒」[編集]

日本薬局方に「ブドウ酒」がアルコール系滋養強壮剤として収載されている。食欲増進などにリモナーデ剤としてそのまま(赤酒リモナーデ)、もしくは他剤と配合して飲み易くする為、高血圧などの食事療法にも用いられている。薬用として使用されるようになったのは、明治時代に流行した腸チフス、赤痢、コレラなどの病後の滋養強壮にと使用されたの始まりと見られている。[2]

かつては合同酒精(現・オエノンホールディングス)が「局方ハチブドウ酒」として製造していたものの、薬価改定等の理由によって1982年(昭和57年)に製造中止となり長らく空白状態が続いていた。しかし、現在では製薬会社2社が製造販売している。愛知県の中北薬品によって1992年(平成4年)に同社津島工場において生産が再開され、現在では「くすりのぶどう酒医薬品名「日本薬局方ブドウ酒」)」として薬局薬店を通して一般にも購入する事ができる。ただし、一般のワイン同様、未成年の飲用は控えるべきであり、飲用後の車両運転なども禁じられている。東京都司生堂製薬もブドウ酒を製造しているが、こちらは詳細は不明である。

原産地表示[編集]

原産地呼称制度として、フランスではアペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ(AOC 原産地統制呼称)、アメリカ合衆国ではアメリカ葡萄栽培地域American Viticultural Areas 略称A.V.A.)が法制度として定められている。

日本においては全国的な法制度は整っておらず、原料産地や葡萄品種に関係なく国内で醸造を行う事で「日本産」を表示することが可能となっていた。このため、輸入果汁から生産された日本産ワインというものまで流通していた。現在はワイン表示問題検討協議会の「国産ワインの表示に関する基準」が改正され、輸入果汁を日本で醸造したワインを日本産(国内産)ワインと表記することは殆ど無くなっている。現在も日本のメーカーが発売する低価格帯ワインの多くは輸入した濃縮果汁を日本で醸造したものである(ものによってはそれにバルク輸入した輸入ワインが混ぜられる事もある)。

しかし、一部自治体で独自の原産地呼称管理制度が始まっており、長野県長野県原産地呼称管理制度や、山梨県甲州市ワイン原産地認証条例などがある[3]

2014年春、自民党主体で「ワイン法制に関する勉強会」が発足。国内法の制定に向けた準備が始まっている[4]

脚注・参考[編集]

  1. ^ 長沢宏昌・中山誠二『縄文時代の酒造具 有孔鍔付土器展』山梨県立考古博物館、1984年
  2. ^ a b c d 「ぶどう郷・勝沼のぶどう酒」日本の食生活全集⑲ 聞き書 山梨の食事
  3. ^ “国産ブドウ100%ワイン、なぜ「国産」と呼ばない?”. 日本経済新聞. http://www.nikkei.com/article/DGXNASDB29002_Z20C14A1000000/ 2014年8月8日閲覧。 
  4. ^ “ワイン法:日本ワインにお墨付き 新たなクールジャパンに 自民、法整備を検討”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/shimen/news/20140808ddm001020198000c.html 2014年8月8日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]