日新丸
日新丸(にっしんまる)とは、日本の捕鯨母船。歴史上で「日新丸」と命名された捕鯨母船は3隻あるほか、「第一日新丸」、「第二日新丸」(初代・2代)および「第三日新丸」と大洋漁業や日本共同捕鯨の持ち船として同名船が多数存在する。3代目の「日新丸」は、共同船舶が保有する2012年現在で世界唯一の捕鯨母船で、日本の調査捕鯨の調査母船となっている。
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初代 日新丸[編集]
1936年建造。太平洋戦争中に石油タンカー代用として行動するが、ミ02船団へ加入していた1944年5月6日にアメリカ潜水艦クレヴァルの雷撃を受け沈没。
- 船主 大洋漁業
- 総トン数 16764トン
- 全長 163.07メートル
- 全幅 22.56メートル
- 喫水 14.86メートル
初代 第二日新丸[編集]
1937年建造、1943年4月17日、石垣島白保崎南方海上において雷撃を受け大破、基隆に曳航され、同年の11月30日に廃船にされた。
- 総トン数 17,553トン
第一日新丸(のちの綿城丸)[編集]
三菱重工業長崎造船所で大阪商船の石油タンカーである3TL型戦時標準船大攬丸(だいらん丸)として建造中に長崎市への原子爆弾投下に遭い放置。終戦後の南極海捕鯨再開に伴い、大洋漁業が購入して捕鯨母船へ改造し第一日新丸と改名、1946年10月15日に完成させた。1951年6月11日に石油タンカーへ改造し錦城丸と改名。1965年3月に不稼動船となり、解体のため売却しのちに大阪で解体された。
- 総トン数 11781トン
- 全長 150.8メートル
- 全幅 20.4メートル
- 喫水 12.0メートル
二代目 日新丸[編集]
- 総トン数16777トン
- 全長175.0メートル
- 全幅23.4メートル
- 喫水10.6メートル
二代目 第二日新丸[編集]
元南アフリカ共和国船籍の捕鯨母船アブラハム・ラーセンを買収した。1961年10月30日にソロモン海域で火災が発生し、キャッチャーボートで日本の佐世保重工業に曳航され修復。
- 総トン数 27035トン
第三日新丸[編集]
綿城丸の代替のためにノルウェーの捕鯨母船「コスモスⅢ世」を買収した船。この船団による第四十二次南氷洋捕鯨が1987年3月14日に終了し、南氷洋商業捕鯨の幕が下りた。1991年解体のため中国に売却された。
- 総トン数 23407トン
三代目 日新丸[編集]
第三日新丸の代替として日本水産のトロール船「筑前丸」を日立造船因島工場で改造した。これまでの捕鯨母船と比べるとかなり小型である。日本鯨類研究所に傭船され、調査捕鯨の調査母船として運用されている。
同船は、アメリカ合衆国からの商業捕鯨撤退の交換条件として出された遠洋漁業に使用するために建造された船である。しかしアメリカはパックウッド・マグナソン法を制定し、代替の遠洋漁業の認可さえも取り消した。こうして行き場を失っていた同船を共同船舶が買い上げ改造した。
主要諸元[編集]
火災事故[編集]
1998年11月20日、珊瑚海にて製油工場付近で出火し、火災区間の封鎖に失敗して自力航行が不可能となった。乗組員を第25利丸に移し、第1京丸を使って消火に当たらせた。火は11月29日に消し止められたが、甲板手一名が自殺。11月30日にタグボートでニューカレドニアヌメアへ曳航され、12月2日入港。12月7日、グリーンピースのメンバー4人が同船と第1京丸に侵入し、1人は第1京丸の砲台に自らの体を括り付け、他は同船のプロペラを鎖で固定した。その後も同会はデモ活動を続け、アンカーチェーンにぶら下っていた活動家を交代させた(第1京丸側が放水で対抗)。この際にグリーンピース妨害船に乗っていた日本人女性が調査捕鯨船団に対して脅迫状を交付したため水産庁、鯨研は抗議し、その後グリーンピース・ジャパンが謝罪。地元裁判所から撤退命令もあり、撤収した。12月8日同船はヌメアを出航し、12月20日日立造船因島工場に入渠。同地で修復され、1月5日に再び南氷洋へ出航した。[1]。造船所及び各機械メーカーの全面協力により正月休暇を返上しての突貫工事で応急復旧を行ったが全面的な修復はその年の帰国後になった
2007年2月25日再び南極海ロス海において工場甲板部から出火し、作業員1名が死亡している。2月24日に自力航行が可能になったものの、その年の南極海鯨類捕獲調査は中止となった。
妨害活動[編集]
グリーンピース (NGO)やシーシェパードの項を参照。
日新丸新造計画[編集]
三代目日新丸の代替船として、3倍の大きさの16000トン級捕鯨母船の建造計画があるが、実現には至っていない。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ 2003年10月小島敏男著成山堂書店「調査捕鯨母船 日新丸よみがえる」ISBN 4425881311(ISBN 978-4425881314 )