族誅
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族誅(ぞくちゅう)は、中国で権力闘争に敗れたものを一族全員虐殺すること。三もしくは九族皆殺しとも呼ばれる。
殷の時代に始まり、秦の時代になって拡張され、清の時代までみられた。また、属国の朝鮮、ベトナムでも行われた。日本では、江戸時代まで敵対者の一族郎党を全員処刑する例があった。[要出典]
中国では古来[いつ?]から「罪は九族に及ぶ」とされており、族誅には親族にまで連帯責任を負わせることによる犯罪抑止、そして遺族の遺恨を根こそぎ断つ目的があったと言われる[誰によって?]。
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三族 [編集]
資料[要出典]によって見解は異なる。
各説[要出典]によれば、本人と、
- 妻、父母
- 妻、父母と兄弟
- 父、子、孫
までを処刑すること、とされる。
九族 [編集]
こちらも資料[要出典]によって見解が異なるが、9親等(高祖父、曾祖父、祖父、父、本人、子、孫、曾孫、玄孫)までを処刑することとされる。
十族 [編集]
明の方孝孺は、建文帝に重用された恩義から永楽帝の帝位を認めなかったため、面前で一族800人余りを処刑されたのち自身も処刑され、著作をすべて焼き捨てられた上に彼の門下生までも処刑・流罪となった。この事件は「滅十族」と呼ばれた。