新穂村

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にいぼむら
新穂村
根本寺
新穂村旗
新穂村旗
新穂村章
新穂村章
新穂村旗 新穂村章
廃止日 2004年3月1日
廃止理由 新設合併
両津市佐渡郡相川町佐和田町金井町新穂村畑野町真野町小木町羽茂町赤泊村佐渡市
現在の自治体 佐渡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
佐渡郡
市町村コード 15604-3
面積 63.8 km2.
総人口 4,778
2000年10月1日
隣接自治体 両津市畑野町金井町
村の木 ユキツバキ[1]
村の花 キク[1]
村の鳥 トキ[1]
新穂村役場
所在地 952-0106
新潟県佐渡郡新穂村大字瓜生屋490[1]
(現在の佐渡市新穂支所)
外部リンク 新穂村閉村記念サイト - ウェイバックマシン(2008年5月18日アーカイブ分)
座標 北緯38度00分58秒 東経138度25分38秒 / 北緯38.01608度 東経138.42717度 / 38.01608; 138.42717座標: 北緯38度00分58秒 東経138度25分38秒 / 北緯38.01608度 東経138.42717度 / 38.01608; 138.42717
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佐渡島における平成の大合併の地図。

新穂村(にいぼむら)は、かつて新潟県佐渡郡におかれていた両津市への通勤率は11.4%(平成12年国勢調査)。日本トキの最後の生息地で、佐渡トキ保護センターがあった。2004年3月1日に、佐渡全域での合併により佐渡市の一部になった。

概要[編集]

新潟県佐渡島金井町と同じ内陸部の村であり、水田単作農家が多い地帯である。[2]

地理[編集]

佐渡中部、国中平野の南東側にあった。村の北西半分が平野、南東半分は小佐渡丘陵にあり、丘陵からは国府川などが西へ流れた。村の北端は加茂湖に接していた。

人口[編集]

人口世帯数
1911年(明治44年) 7,4421,524
1920年(大正9年) 7,0601,587
1930年(昭和5年) 6,7851,500
1940年(昭和15年) 6,8011,485
1950年(昭和25年) 7,8611,584
1960年(昭和35年) 7,1311,582
1970年(昭和45年) 5,8821,552
1980年(昭和55年) 5,3091,562
1990年(平成2年) 4,9641,559
2000年(平成7年) 4,7781,549

隣接していた自治体[編集]

歴史[編集]

1945年の新穂村中心部

戦国時代末から江戸時代の初めにかけて新穂銀山(滝沢銀山)が賑わいを見せた[3]

沿革[編集]

行政[編集]

歴代村長[編集]

河野勝蔵
  • 約103年間の間に20人の村長が就任していた。[7]
村長名 備考
初 - 2 池野最平
3 河野勝蔵
4 - 5 鳥井嘉蔵
6 本間一松
7 河原作一
8 河野治一
9 臼杵伊之吉
10 河原作一 再選
11 荷上與六
12 河原作一 再々選
13 藍原小一郎
14 和田松五郎
15 佐藤徹次郎
16 藍原小一郎 再選
17 堀口四良次
18 斉藤豊
19 後藤億衛
20 - 22 本間市郎左衛門
23 - 24 竹中錬英
25 河原治一
26 - 27 山本三郎
28 - 30 菊池一春
31 - 32 本間權市

姉妹都市・提携都市[編集]

友好交流

経済[編集]

産業[編集]

農業が中心で、特に米作が盛んであった。ほかに大豆が造られ、が飼育された。

加茂湖ではカキの養殖が行なわれた。

  • 産業人口
第1次産業714人
第2次産業532人
第3次産業1,244人

教育[編集]

交通[編集]

道路[編集]

村内に国道は通っていない。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

参考文献[編集]

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
  • 新穂村企画商工課『新穂村閉村記念誌』新潟県佐渡郡新穂村、2004年2月。 

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 平成14年度市町村要覧:新穂村(新潟県HP) - ウェイバックマシン(2004年2月2日アーカイブ分)
  2. ^ 新穂村閉村記念誌 p8
  3. ^ 学習用教材:再発見!! 佐渡金銀山 中学生以上向け”. 新潟県、佐渡市 (2015年11月). 2019年10月6日閲覧。
  4. ^ a b 新穂村閉村記念誌 p76
  5. ^ 新穂村閉村記念誌 p78
  6. ^ 新穂村閉村記念誌 p80
  7. ^ 新穂村閉村記念誌 p83

関連項目[編集]

外部リンク[編集]