斎藤制剛

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獲得メダル
日本の旗 日本
男子 柔道
アジア選手権
2005 タシュケント 90kg級

斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は、北海道札幌市出身の柔道家。

略歴[編集]

北海高等学校柔道部監督の父・文雄の影響により柔道をはじめ、小学生の頃より北海道で活躍。小学校、中学校、高校までは北海道代表として全国大会で活躍し、高校3年次には得意の内股寝業を武器に[1]インターハイの中量級で優勝。北海高等学校卒業後は国士舘大学に進学し、86kg以下級や90kg以下級で成績を残した。団体戦でも活躍し、国士舘大学が悲願の全国制覇を果たした際には主将としてチームを牽引[2]。また学生柔道優勝大会において4年連続で優秀選手に選出されており、この偉業は山下泰裕正木嘉美に次いで3人目であった(後に棟田康幸高井洋平が続いた)。

大学卒業後は旭化成[2]に籍を置き、個人戦で講道館杯を4連覇、全日本選抜体重別選手権で2連覇、全日本実業個人選手権で3連覇するなど同階級の第一人者として活躍[3]したほか、団体戦でも村元辰寛高橋宏明らと共に強豪・旭化成柔道部の主力選手として活躍した。

しかし、大学4年次と社会人1年目に相次いで両膝を故障(靱帯損傷)した影響により、それまでの正攻法の柔道から肩車朽木倒・返し技などの変則柔道に偏重していった事や[1]、同階級に飛塚雅俊矢嵜雄大泉浩といった強豪が揃っていたなど数々の不運もあり、オリンピック世界選手権に個人代表として出場する事は無かった(2005年には全日本選抜体重別選手権で優勝するも、「外国人選手を相手に結果を残していない」という理由で同年の世界選手権代表には選ばれなかった[1])。

2009年全日本選手権では、準々決勝で棟田康幸に敗れるもベスト8まで勝ち進む健闘を見せた。2010年からは所属する旭化成(延岡道場)の柔道部監督に就任し後進の指導にあたっているが、本人曰く「まだ引退していないつもり」との事[1]

なお、弟である順道も全日本学生体重別選手権や講道館杯、全日本選抜体重別選手権等で活躍し、現在は母校北海高校の教諭を務める。

大会成績[編集]

  • 1994年 インターハイ3位、全日本ジュニア2位
  • 1995年 イタリアジュニア優勝、講道館杯2位、全日本選抜体重別3位、インターハイ優勝
  • 1996年 嘉納杯3位、全日本選抜体重別3位、全日本ジュニア優勝
  • 1997年 講道館杯2位、全日本ジュニア優勝、全日本学生体重別3位
  • 1998年 ドイツ国際出場、全日本学生体重別3位
  • 1999年 講道館杯3位、全日本学生体重別3位
  • 2000年 韓国国際1回戦敗退、全日本実業2位
  • 2001年 講道館杯優勝、全日本選抜体重別2位
  • 2002年 エストニア国際優勝、韓国国際2位、ロシア国際2位、日本国際2位、全日本選抜体重別3位、全日本実業優勝
  • 2003年 モナコ国際優勝、講道館杯2位、全日本実業優勝、全日本選抜体重別1回戦敗退
  • 2004年 ハンガリー国際3回戦敗退、全日本選抜体重別1回戦敗退、全日本実業優勝、講道館杯優勝
  • 2005年 ロシア国際3位、アジア選手権優勝、全日本選抜体重別優勝、講道館杯優勝
  • 2006年 フランス国際2回戦敗退、全日本選抜体重別優勝、講道館杯優勝
  • 2007年 嘉納杯東京国際3位、ドイツ国際5位、全日本選抜体重別2位、講道館杯優勝
  • 2008年 グルジア国際5位、世界柔道団体戦5位(主将)、全日本実業2位
  • 2009年 全日本選手権5位、全日本実業2位

(得意技)内股、肩車、寝技 とくに肩車が非常に得意で、2009年全日本選手権の際の棟田への肩車は観衆の度肝を抜いた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d “近代柔道 2010年9月号 入門!一流の技術 -第75回 齋藤制剛5段の「内股」-”. 近代柔道 (ベースボールマガジン社). (2010年9月22日) 
  2. ^ a b 斎藤が90キロ級で3年連続4度目V/柔道 日刊スポーツ 2006年11月20日
  3. ^ 全日本強化男子A選手名簿 全日本柔道連盟 2006年

外部リンク[編集]