斎京村隆

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斎京村隆
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 慶長8年6月24日1603年8月1日[1]
改名 林村隆、斎京村隆[2]
別名 与六郎、三郎右衛門[1]
戒名 一虚一霊居士[1]
主君 上杉氏謙信景勝
氏族 清和源氏義光流林氏、斎京氏
父母 父:林村氏[2]
三郎左衛門
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斎京 村隆(さいきょう むらたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。桑取谷大肝煎家・斎京氏の初代。

略歴[編集]

父は越後国頸城郡西吉尾の武士・林村氏。林氏は武田氏の一族である下山氏の末裔を称し、桑取谷と呼ばれる地域の有力な武士だった[2][1]。村隆は斎京氏と名字を改めてその初代となった。桑取谷一帯を支配しており、桑取谷に属する邑の長を肝煎と呼んだ事から、村隆は大肝煎と称されていた。また越後で権力を握った上杉謙信に仕えている。上杉氏の会津移封後も桑取谷の支配者として君臨していた。慶長8年(1603年)、死去。家督は子・三郎左衛門が継いだ[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 太田 1963, § 齊京.
  2. ^ a b c 『西頸城郡誌』, pp. 272–273.
  3. ^ 齊京 1998, p. [要ページ番号].

参考文献[編集]

  • 齊京村隆 著、上越市史専門委員会寺社資料部会 編『桑取谷文化の記録』上越市〈上越市史叢書〉、1998年。 
  • 太田亮 編『太田亮』角川書店、1963年。ISBN 978-4-04-030200-3 
  • 西頚城郡教育会 編『新潟県西頸城郡誌』千秋社、1999年。