揚武 (スループ)
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| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | 福州船政局 |
| 起工 | 1870年 |
| 進水 | 1872年4月23日 |
| 就役 | 1872年12月 |
| 退役 | |
| その後 | 1884年8月23日、戦闘により沈没。 |
| 除籍 | |
| 前級 | |
| 次級 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 常備:1,393トン |
| 全長 | 57.5m |
| 全幅 | 10.9m |
| 吃水 | 5.42m |
| 機関 | 型式不明石炭専焼缶-基 +レシプロ機関1基1軸推進 |
| 最大出力 | 1,130hp |
| 最大速力 | 15.0ノット(機関航行時) |
| 航続距離 | -ノット/-海里(石炭:-トン) |
| 乗員 | 147名 |
| 兵装 | アームストロング 口径不明前装填砲13基 クルップ 19cm砲1基 |
揚武 (ようぶ、Yangwu) は清国水軍の機帆走スループで同型艦はない。
目次 |
概要 [編集]
本艦は清国が始めて国産した一等巡洋艦である。就役後は福建水軍(艦隊)の旗艦であった。1875年、清国軍艦として初めて日本を訪問した[1]。1884年の清仏戦争で本艦は馬江沖海戦において福建艦隊の旗艦を務め、フランス海軍のアメデ・クールベ提督のフランス極東艦隊を迎え撃ち、フランス艦隊旗艦の機帆走巡洋艦「ヴォルタ」と激しく交戦するも力及ばず撃退され、フランス海軍の艦載水雷艇「46号」の雷撃を右舷水線部に受けて撃沈された(馬江之役)。
艦形 [編集]
本艦の基本構造は3本のマストと一本煙突を持つ木造フリゲートとしてデンマークは福州船政局(海軍造船所)で建造された。船体内にはアームストロング製 前装砲13基とクルップ製 19cm単装砲1基を装備していた。 本艦の煙突は帆走時には低く折りたためるように三段階に伸縮できた。
ギャラリー [編集]
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海戦前に撮影された写真。左手の三本マストの艦が本艦。右手の二本マストの艦が本艦と同じ造船所で建造された国産砲艦「福星」で、本艦と同じく仏艦載水雷艇「45号」の雷撃で爆沈させられた。
参考文献 [編集]
- 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
脚注 [編集]
- ^ 国立公文書館所蔵『公文録・明治八年・第三十三巻・明治八年十二月・外務省伺』のうち「清国軍艦渡来ノ節接待ノ儀上申」(アジア歴史資料センターリファレンスナンバー、Ref.A01100103300)。