女子挺身隊

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女子挺身隊

女子挺身隊(じょしていしんたい)は、第二次世界大戦中の1943年に創設された、14歳以上25歳以下の女性が市町村長・町内会・部落会・婦人団体等の協力により構成していた勤労奉仕団体のこと。

目次

[編集] 概要

敬礼して工場に入る女子挺身隊

女子挺身隊は、日本の労働力が逼迫する中で、強制的に職場を配置換えする国民総動員体制の補助として行われた。国家総力戦となった第二次世界大戦の様相から、アメリカイギリスなどの連合国は日本に先んじて既に女性を軍需工場などに動員していた[1]。 例えば、イギリス王族のエリザベス(現イギリス連邦王国女王)も、16歳当時、イギリス陸軍において技術将校に任官して軍車両の整備をしていた。また、日本では日露戦争時には昭憲皇太后が宮中の一室を包帯作りの部屋にあて夜を徹して包帯作りを行うなどしていた[2]

日本も戦局の悪化で徴兵が拡大して男性労働力が不足すると女性の労働力を無視できなくなり、連合国の女性勤労写真を引用して「敵アメリカの女さへこんなに動員されている」と紹介するまでに至った[3]。1943年9月の「女子勤労動員ノ促進ニ関スル件」では、航空工場・政府作業庁・男子が就くべきでないとする分野(たとえば、保母(現・保育士)や看護婦(現・看護師))などで女性労働者の就業拡大を図るものとされた。工場を長時間労働させるために託児所も増やされた。そして、1944年勅令第519号をもって、女子挺身勤労令を公布した。1945年3月には同令が国民勤労動員令によって吸収され、女子挺身隊も国民義勇隊として改組された。

[編集] 関連の法律・運動

  • 国民徴用令は1939年(昭和14年)7月に施行
  • 国民勤労報国協力令(昭和16年)[4]
14~40歳の男子、14~25歳の実質未婚女子。原則、30日/年
  • 女子勤労動員ノ促進ニ関スル件( 昭和18年9月 次官会議) 自主的な組織で14歳以上の未婚者。 
  • 1944年2月、国民職業能力申告令の改正によって12歳以上が労働力とみなされるようになる。
当時の義務教育は、初等教育の小学6年までである。その後の就職はよくあることであった。
2月末の勤労挺身隊は、約16万人という。[5]
  • 女子挺身隊制度強化方策要綱(昭和19年3月18日)[6] - 挺身隊に取られる期間はさしあたり1年
  • 女子挺身勤労令(昭和19年8月23日)[7] - 即日施行
  • 学徒動員令も同時施行(中等学校二年以上)

[編集] 朝鮮における挺身隊

  • 国民徴用令は1939年7月に施行されたが、朝鮮においてはずっと後になる。
  • 日中戦争の頃、挺身隊という語は男女問わず「自ら身を投げ出して進めること」として1940年から使用されていた。未婚女性の勤労動員である挺身隊は、朝鮮語で未婚女性や若い女性を意味する「処女」に由来し、「処女供出」とも呼ばれた。
  • 朝鮮では一般に徴用を逃れようとし、未婚女性は戸外労働を忌避する伝統があり、家から離して隠したり早く結婚させようとしていた。韓国で挺身隊=慰安婦という認識を広めた尹貞玉(1925年生)も1943年度中に退学している。 また元慰安婦の証言からは「女子挺身隊」は詐欺の名目に使われた例がある。
  • 1944年6月の内務省の文書には「朝鮮では動員についての認識が浅く徴用として嫌がり、結局未婚女子の徴用が必要であり、中にはこれらを慰安婦であるかのような荒唐無稽のうわさがある」といった記述がある。同年8月、国民徴用令が朝鮮にも女子を除いて施行される。同月に内地では女子挺身勤労令が出されたが、朝鮮総督府は朝鮮女子は除外すると言明した。当時、徴用忌避に気をつかっていて、また朝鮮女性の労働力登記は極小であった。

韓国挺身隊問題対策協議会は、韓国における日本軍相手の慰安婦を日本政府が強制連行したなどとして、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で抗議活動を行っている。この団体が活動を始めたのは、金学順が日本政府に対する訴訟の原告として名乗りでた時に「親に40円でキーセンに売られた」と訴状に書いていたのを、朝日新聞植村隆記者が「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と捏造報道をしたことがきっかけになった。因みに植村記者の妻は韓国人で義母は訴訟の原告団長であるため、義母の訴訟を有利にするために「日本軍の強制連行」という話にしたという批判がある[8]

[編集] 脚注

  1. ^ p122 大韓民国の物語 李榮薫著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02 ISBN 4163703101
  2. ^ 日本博学倶楽部 『日露戦争・あの人の「その後」: 東郷平八郎、秋山兄弟から敵将ステッセルまでPHP研究所2004年、264頁。
  3. ^ 「写真週報 292号」p.5
  4. ^ 中野文庫 - 国民勤労報国協力令
  5. ^ 当時の人口と人数を見てみると、1944年2月末に、全国(内地)で編成された勤労挺身隊は、約16万(母数の詳細不明)(「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の「原告=最終準備書面」 [1]) という。この半年後の8月に強制動員となり、さらには国民義勇隊に吸収される。1969年の韓国の『ソウル新聞』によると、挺身隊員は総計20万人、うち朝鮮人5~7万人だったという。 ちなみに1940年当時の日本の人口は7,000~7,500万であり、朝鮮の人口が2,500万だとしたら、約3足らず:1となる。 当時の数字として、1944年5月の日本の女子挺身隊の結成率7%、1944年以降12歳以上の生徒や学生約300万人が動員、10歳以上の児童、青年学校および中等学校の学徒500万人、という数字がある。 また食糧難が起きていた。(数字は、『決定版・昭和史--破局への道』第11巻190頁 、他 [2]
    きわめて参考までだが、14~23歳の女性の人口は、平時の一般最高年齢を70歳とすると、1/14×(35+約7.5/35)(人口ピラミッドによる世代比と平均値の中間として仮予想)=約1/11.5で、600~650万辺りとなる。
  6. ^ 女子挺身隊制度強化方策要綱 | 国立国会図書館-National Diet Library
  7. ^ 女子挺身勤労令 | 女子挺身勤労令(昭和19年勅令第519号)
  8. ^ 2012年08月08日ブロゴス「慰安婦について調査委員会を設置せよ」

[編集] 参考文献・関連文献

[編集] 関連項目