指名手配の男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

指名手配の男」(しめいてはいのおとこ、The Case of the Man Who Was Wanted)は、シャーロック・ホームズの登場する短編推理小説である。

コナン・ドイルの死後、遺品の中から原稿が発見され、当初は61番目のホームズものと信じられたが、後に建築家でアマチュア作家のアーサー・ホイティカーの原稿をドイルが買い取ったものと判明した。数あるホームズもののパスティーシュの中でも「外典」という特別な位置づけをされている。

指名手配の男
著者 アーサー・ホイティカー
発表年 1948年
出典
依頼者 スコットランド・ヤード
発生年 1895年
事件 大西洋航路を渡ってくる指名手配犯を、レストレード警部は快速船で先回りして待ち構えたが、指名手配犯は船上からこつぜんと消えてしまう

経緯[編集]

1943年、コナン・ドイル伝を書くためにコナン・ドイルの残した書類を調査していた伝記作家ヘスキス・ピアソンは、“The Man Who Was Wanted”という標題のホームズの短編を発見した。ピアソンはこの原稿の内容を慎重に検討し、コナン・ドイルが書いたものだと判断した。伝記では次のように書いている。

「この主人公をかくも長きにわたって維持することができたのは、また読者も最近のホームズ譚が初期作品に比べて遜色がないと見てくれているのは、私が無理に話を作りはしなかったからである」とドイルは書いている。この主張の裏付けとしては、私が彼の書類の調査中に発見したホームズ短編の完成稿をあげればよいだろう。未発表のこの原稿は“The Man Who Was Wanted”と題されている。確かに全体として水準には達していないが、冒頭の部分だけはドイルの名に恥じぬものであり、引用に値すると思う。」

ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝が評判になると、この「コナン・ドイルの未発表原稿」を読みたいという要望が高まった。

1948年、“The Man Who Was Wanted”はアメリカの「コスモポリタン」誌8月号に「長らく失われていたシャーロック・ホームズ譚」として発表された。英国では「サンデイ・ディスパッチ」誌1949年1月号に掲載された。いずれもコナン・ドイルの作品としてである。

一方、1945年にアーサー・ホイティカーというイギリス人が、実は自分が1910年に書いたものだと名乗り出ていた。ホイティカーはこの作品を書き上げ、共作の形で出版したいと考えてコナン・ドイルに送ったらしい。コナン・ドイルは共作を断り、代わりに10ギニーでプロットを買い取ると返事したものと見られる。ドイル財団はホイティカーの主張を認めようとせず、弁護士を立てての争いとなったが、ホイティカーがタイプ原稿のカーボンコピーと、コナン・ドイルからの「貴君のプロットを買い取りたい」という手紙を持っていたため、真贋騒動は解決した。

日本では、1952年月曜書房から刊行された「シャーロック・ホームズ全集第13巻」(延原謙訳)に、「這う男」、「獅子の鬣」、「覆面の下宿人」、「ショスコム荘」、「隠居絵具師」とともにコナン・ドイル作の「求むる男」として収録された。

児童向けの訳でも、小学館の「名探偵ホームズ全集」にて『ねらわれた男』(久米穣訳)のタイトルで1974年に出版されたが、こちらも作者がコナン・ドイル名義になっている(1984年の再版[1]でも修正されず)。

その後、日暮雅通訳「指名手配の男」が、真の作者がホイティカーであることを明示した上で、アンソロジー『ホームズ贋作展覧会』(各務三郎編、講談社文庫、1980年、河出文庫、1994年)に収録されている。

評価[編集]

人間消失トリックを扱った推理小説で、河出文庫版の翻訳をした日暮雅通は「ドイルの作品としてみるとそれほどの出来ではないが、贋作としてはなかなかよくできていると言えよう」と評している[2]

脚注[編集]

  1. ^ ISBN 4-09-233010-3
  2. ^ 日暮雅通「贋作事件」『シャーロック・ホームズ大事典』小林司、東山あかね編、東京堂出版、2001年、177-178頁