折田先生像
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折田先生像(おりたせんせいぞう)は京都大学の前身の一つである第三高等学校の初代校長を務めた折田彦市(おりた ひこいち)の業績を讃えるために製作された銅像である。京都大学構内に設置されていたが、派手な落書き・いたずら(オブジェ化)が相続き、有名になった。
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[編集] 概要
折田彦市は京都大学の前身である第三高等学校の創立に尽力し、その功績を顕彰するために銅像が制作され、旧制高等学校が廃止された1950年から大学構内に設置されてきた。
この像にいつの頃からか不明であるが落書き・いたずらが行われるようになり、またそれが1回限りの単発的な出来事でなく繰り返し行われたことから、大学関係者をはじめとして衆目を集めるようになる。 初期はペンキによる着色であったが、徐々に行為がエスカレートし、腕を取り付ける、自転車を担がせる等の物体の付加や、像全体を覆った別の物としての展示にその内容が移行していった。
1997年3月、大学当局は折田の像および台座を設置場所から撤去し、倉庫に保管する措置を執った。しかしそれ以降は折田の像に何かを描き加えたり装着するということとは無関係に、独自のオブジェが制作され折田像の元あった場所に展示される事態となった。展示にあたってはオブジェのみならず、台座及び像の取り扱いに関する注意書きの立看板も含めて折田像がかつて設置されていた状況が模倣されている。
[編集] 折田彦市の銅像(銅像そのものについて)
折田の像は過去3回制作されている。
- 1940年(昭和15年) - 三高卒業生有志者の寄付により像が制作される。
- 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争の金属供出により失われる。代わりに石膏像が制作される。
- 1950年(昭和25年) - 同窓生の寄付により、銅像が制作される。製作は辻晋堂京都美大教授による。
1950年製の像は制作後京都大学総合人間学部(旧教養部)A号館前で設置されてきたが、ある時期から落書き・いたずらが相次いだことから、1997年3月に大学当局により総合人間学部図書館の地下書庫に収納されて現在に至っている。
[編集] 銅像への落書き
銅像への落書きがいつから始まったのかは不明である。遅くとも1986年には顔を赤くスプレーされ、台座に「怒る人」と落書きされた、その後の姿に比べれば比較的シンプルなバージョンが存在しており、一部で「京大の『怒る人』」として知られていたと言われる。これは比較的長い期間放置されていたが、その後、何者かが赤い顔を青に塗り替え、台座に「怒らないで」と上書きした。これを機に、一連の落書きの連鎖が始まることになる。
「怒らないで」の次に、彼らが行った落書きは「歌舞伎の隈取」の意匠であった。これはすぐさま大学側によって消された。その後、合成樹脂による両手をとりつけた「れーにん」、巨大な被せ物による「モアイ」など、初期の何種かのバージョンが製作された。
その後も折田先生像への落書きは一種の文化のように継承され、回を追うごとにエスカレートしていき、一部では銅像アートと呼ばれるさまざまな作品を残した。
- 赤と黄色に彩られ、頭にカップを乗せたヤキソバンバージョン[1]
- 肩に自転車を掛け、「私も入ってます!!」と張り紙のされたサイクリング部勧誘バージョン
- 女性用下着を顔につけ、「フォオオオ」と書き込まれた変態仮面バージョン
- 全体にダンボールによって作られたモアイ像を被されたモアイバージョン
| 折田彦市先生は、第三高等学校の校長として京大の創設に尽力し、京大に自由の学風を築くために多大な功績を残した人です。 どうかこの像を汚さないで下さい。 |
| 総合人間学部 |
これに対し、1994年から大学は一旦銅像を清掃し、横に右記のような立て看板を立てて学生に落書きをやめるよう要請した。
しかしこの立て看板に対抗して、「この像を汚さないで」と胴像に早速落書きされた。以後もアンナミラーズのウェイトレスバージョン、ウルトラマンゼアスバージョン、「お父様、お母様、今まで育ててくれてありがとう。今日、私…お嫁に行きます」と張り紙のされた花嫁バージョンなど衣装や被り物が数多く制作された。
こうした銅像に対する落書き・いたずらは構内整備を機に折田先生像が撤去される1997年3月まで続いた[2]。
[編集] 銅像撤去後
度重なるいたずらを理由に大学側は銅像を総合人間学部図書館の地下に収納する措置を採ったため、1997年3月限りで銅像そのものは姿を消すこととなった。しかし銅像が撤去されると今度は落書き・いたずらするベースとなる銅像と台座が無くなったため、折田先生像関連のいたずら等は像(オブジェ)だけでなく、台座および横の立て看板まで含めて制作・設置される形態のパロディへとエスカレートするようになった。
折田先生像撤去後すぐに『北斗の拳』のラオウを模した漢の生き様バージョンが設置された。その他にも力石徹バージョン[1]、スターガオガイガーバージョン、さらには快傑ズバット像など、さまざまな新企画が示された。
その後、場所を総合人間学部図書館前に移し、王蟲を連れたナウシカを模した風の谷のナウシカバージョン、M16のモデルガンを構えたゴルゴ13バージョン[3]などが製作された。像だけでなく、横の「落書きしないように」との看板もキャラクターに合わせ文言を変えて再現するのが先生像撤去後の特徴の一つである。
それも2003年7月頃に撤去されていたが、2004年2月の入試期間前後にひょっこりひょうたん島のサンデー先生バージョンが作られ、復活した。そして、同年7月には再び撤去された。2005年2月下旬には場所を吉田南構内正門付近に移し、新たにDr.スランプのキャラクターを模したスッパマンバージョンが出現したが同年5月下旬に撤去された。
2006年2月中旬、折田大仏と題された像が設置されたが、後日何者かに大仏は破壊された。 同年2月下旬、ちびまる子ちゃんのキャラクターを模した永沢くんバージョンが出現し、同年3月25日に撤去された。
2007年2月下旬、不二家のマスコットキャラクターを模したポコちゃんバージョンが出現したが、同年3月19日未明に何者かにより破壊され翌日に撤去。その後は大学側で保管されている[4]。
2008年2月下旬、アンパンマンの登場キャラクターを模したてんどんまんバージョンが出現した。[2]
2009年2月下旬、仮面ライダーV3の登場キャラクターを模したライダーマンバージョンが出現した。[5]
また、看板の裏側にアイドルの写真が貼られているのも慣例となっている。
[編集] 大学当局の対応
2008年に登場したてんどんまんバージョンに対しては、京都大学高等教育研究開発推進機構が大学ホームページを通して公式声明を発表した[6]。例年置かれる像の出来映えを賞賛し、折田先生像を「吉田南構内の風物詩の一つ」として事実上黙認するかまえを見せた。また、いつも何者かに折田先生像が破壊される事実に対しては「創作物を壊すという行為は、最も悪質で下劣で野蛮な行為」と厳しく断じた。一方で『アンパンマン』シリーズの著作権を保有する企業から問い合わせがあり、撤去要求はなかったが著作物のイメージを損ねないよう要請があったことを明かした。これを受けて機構は制作者が自主的に像を撤去することを呼びかけ、それがかなわぬときは誰の目にも劣化したことが明らかになった際に機構が撤去するとした。[2] [7]
[編集] 評価
上記のような一連の落書き・設置行為は違法行為であり、銅像への落書きは器物損壊罪に、また銅像撤去後の漢の生き様バージョン以降は大学敷地の不法占拠や著作権侵害行為に該当する。
しかしながら、折田先生像のパロディは2月から3月にかけての受験シーズンになると登場する傾向があるため、そのパロディは今や京都大学における受験シーズンや年度末の風物詩の一つとなっており、像の前で京大生や新入生が記念撮影する姿が定番になっているなど、一種の「季節行事」となっている。
なお折田先生像以外の京大関係者の像が無被害だったわけではないが、継続的に落書きされ「名物化」したのは折田先生像だけである。
[編集] 脚注
- ^ a b 「ゴルゴ13、京大にも来ていた──伝説の「折田先生像」」 ASCII.jp デジタル、2008年4月14日。
- ^ a b c 「京都大学入試シーズンの風物詩・折田先生像、今年は「てんどんまん」」 GIGAZINE、2008年2月29日。
- ^ 「ゴルゴ13、京大にも来ていた──伝説の「折田先生像」」 ASCII.jp デジタル、2008年4月14日。
- ^ 京都大学 高等教育研究開発推進機構 「折田先生像」について
- ^ 「京大、「ライダーマン」がお出迎え 国公立大入試の二次試験始まる」 京都新聞Web News、2009年2月25日。
- ^ 京都大学 高等教育研究開発推進機構 平成20年度版 折田先生像について
- ^ 「「てんどんまん」像は残った 京大と著作権者の“粋な計らい”」 ITmedia News、2008年2月29日。

